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ATHLETES' CORE

ボッチャ


「よっしゃぁ!」
 ボッチャの試合会場にいつも鳴り響くのは、廣瀬隆喜選手の雄たけびだ。自分自身やチームメイトを鼓舞するこのパフォーマンスは、今や彼の「代名詞」となっている。そして昨年、銀メダルを獲得したリオデジャネイロパラリンピックでは、「火ノ玉JAPAN」こと、ボッチャ日本代表に勢いをもたらした。ボッチャを始めて15年。国内のトップを走り続ける廣瀬選手の「ボッチャ人生」に迫る。

リオ準々決勝で見せた競技人生最高の「一投」
 廣瀬選手が本格的にボッチャを始めたのは、高校3年の夏のことだ。それまでは陸上競技に取り組んでいたが、筋緊張(筋肉が硬直し、体の動きをコントロールすることができない症状)が激しくなるにつれてタイムが伸びなくなってきていた。そんな時、高校の先生からボッチャを勧められたことがきっかけだった。

「生涯に一度でいいから世界最高峰の大会に出てみたい」

 そこからスタートしたボッチャ人生は、今年で15年目を迎え、今や目標は「出場」ではなく「メダル」、それも「金メダル」獲得を目指すというところにまできている。

 その15年の競技人生で、「会心の一投」がある。昨年のリオデジャネイロパラリンピック、チーム戦準々決勝、中国戦での最後の投球だ。

「コート上のカーリング」とも称されるボッチャは、ジャックボールと呼ばれる目標球に向かって、ボールを投げたり転がしたりする。最終的にジャックボールに最も近いチームのボールの合計得点を競う競技だ。3対3のチーム戦では、各チームが1人2球ずつ、計6球を投げる。それを6回(エンド)行う。

 準々決勝の中国戦、最終エンドを終えて、スコアは5-5の同点となり、勝負の行方はタイブレークへと持ち込まれた。そして両チームの4人が投げ終え、残るは廣瀬選手と中国人選手の1球ずつとなっていた。

 この時、ジャックボールのまわりには中国のボールが集められていた。このままでは中国側に得点が入り、日本の敗戦が決定する。残り1球で、必ず日本のボールをジャックボールに一番近いようにしなければならないという、絶対にミスの許されない場面だった。

 運命の1球が投げ込まれた――次の瞬間、会場に廣瀬選手の雄たけびが響き渡った。彼が投げたボールは、狙った通りに味方のボールを弾いた。その弾かれたボールはジャックボールに吸い寄せられるようにピタリと止まったのだ。

 もうあとは、中国人選手の投球を見守るだけだった。すると、中国人選手のボールはジャックボールの手前で止まってしまった。その瞬間、日本の勝利が決まった。

「この1勝は、日本にとって本当に大きかったと思います。ここで負けてロンドンと同じ入賞にとどまってしまうのか、それとも勝ってメダル争いに食い込むことができるのか。そんな勝負の分かれ目で、あの最高のパフォーマンスができた。本当に嬉しかったです」

 リオの地で「日本ボッチャの旋風」が吹いていた――。




「悔しさ」と「喜び」が入り混じった銀メダル
 準決勝でポルトガルを破った日本は、ボッチャ界史上初の決勝進出を果たした。その決勝の相手は、前回の2012年ロンドン大会でも金メダルに輝いたタイ。日本が開幕前から最もマークしてきた世界最強国だった。

 第1エンド、日本はタイよりもジャックボールに近い場所にボールを置くことに成功し、1点を先制した。ところが、第2エンド以降はタイが得点を挙げて逆転。第5エンドを終えた時点で、1-9。最後の第6エンドに3点を挙げ、意地を見せた日本だったが、結果は4-9で敗戦を喫した。

 試合終了後、廣瀬選手の胸に真っ先にこみ上げてきたのは、銀メダル獲得の喜びではなく、悔しさだった。

「ロンドンが終わってからの約4年間、アジアのライバルたちをどう倒すかということを常に考えてきました。なかでもマークしてきたのがタイ。タイを倒さない限り、自分たちが目標とする金メダルには届かないということはわかっていたからです。なのに、そのタイに負けてしまった。しかも、差をつけられての敗戦は悔しさしかなかったです」

 廣瀬選手がようやく「日本ボッチャ界史上初の銀メダル獲得」の喜びに浸ることができたのは、全日程を終え、帰国した時だった。

 成田空港に到着した廣瀬選手たちメダリストを待ち受けていたのは、想像以上の熱烈な出迎えだった。到着出口を出ると、目の前には自分たちを待つ大勢の人たちがいたのだ。その光景に、廣瀬選手は鳥肌が立つほどの感動を覚えた。

「あぁ、これがメダルを取るということなんだなぁとしみじみ思いました。日本でも僕たちが吹かせた風が届いていたんだなと。(決勝で負けて)悔しい銀ではあるけれど、メダルを取ることができて本当に良かったと思いました」

 4年間の努力が報われたような気がしていた――。


1mmのズレが勝敗を分ける厳しい戦い
 チーム戦における日本のレベルは、世界的にもトップクラスだ。リオでは予選プールから準決勝までの全4試合で2ケタ得点を叩き出したタイを、日本は唯一1ケタの得点にとどめていることも、実力の高さを示している。

 しかし、タイとの差は、決して小さくはないと廣瀬選手は感じている。
「正直、今のタイにはこれといった弱点はないんです。それでも、どこかに付け入る隙があるはずだと思って、リオではジャックボールの置く位置を変えるなど、細かい戦略をたてて臨みました。でも、実際にやってみて、やっぱりタイのボールコントロールの精度は高く、ほぼノーミスという強さでした」

 そのタイを上回るには、「一段階、二段階では足りない。三段階くらい、自分たちが進化しなければならない」と考えている。まずはミスをゼロに等しくすること。わずか1㎜のズレが勝敗を分けるため、100%に近い精度を求めていくことが必要だという。それができて初めてタイと勝負することができる。

 しかし、これは「言うは易し、行うは難し」だ。特にチーム戦では、1人に与えられるチャンスは2球のみ。さらに試合では、プレッシャーや連戦の疲労との戦いもある。その中で、いかにミスなく、戦略通りにボールをコントロールすることができるかは、決して容易ではない。だが、廣瀬選手の決心が揺らぐことはない。

「2020年は、自国開催のパラリンピックですから、日本の方々がたくさん見に来てくれると思うんです。そういう中で、私たち『火ノ玉JAPAN』が金メダルを取り、国歌を歌う姿を見せることができれば、ボッチャの知名度はグンと上がるはず。東京は、ボッチャをアピールする最大のチャンスだと思っています」

 3年後、金メダルを「取りたい」ではなく、「取る」。廣瀬選手は、そう決めている。


廣瀬 隆喜(ひろせ たかゆき)

ボッチャ・BC2クラス/西尾レントオール株式会社所属
1984年8月31日、千葉県生まれ。先天性の脳性麻痺。
中学時代はビームライフル、高校では陸上競技に取り組む。
2003年、高校3年の夏にボッチャに転向し、
同年の日本選手権では初出場で3位(個人戦)となる。
日本選手権初優勝は2006年。
それ以降、クラスでは史上最多の7度の優勝を誇る。
2008年北京パラリンピックはチーム最年少ながら主将として出場。
2012年ロンドンパラリンピックではチーム戦で7位入賞を果たす。
2016年リオデジャネイロパラリンピックでは、チーム戦で銀メダル、
個人戦ではベスト8進出を果たした。
 
 
取材・撮影:越智 貴雄  取材・文:斎藤 寿子