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ATHLETES' CORE

車いすテニス


 近年、車いすテニスの日本女子が熱い。世界トッププレーヤーの上地結衣選手に続こうと、10代、20代の若手が台頭し、切磋琢磨している。その中で、最も世界ランキングが高いのが、田中愛美選手だ。11月20日現在15位。日本人では、上地選手に次ぐランキングだ。世界トッププレーヤーへの入り口は、もうすぐそこまで来ている。そんな日本車いすテニスの「次世代」を牽引する田中選手にインタビューした。
気持ちを引き締めた同世代からの敗戦
「愛美」という名前ぴったりの愛くるしい笑顔がトレードマークの田中選手。しかし、実は根っからの負けず嫌いでもある。それは、中学時代のこんなエピソードからも窺い知れる。

 中学3年の時、田中選手は硬式テニス部部長を務め、プレーヤーとしても中心的存在だった。しかし、入部した当初は、まったくの「初心者」だった。一方、同じクラスのテニス部の友人には、テニスをしていた経験者が多かったという。すると、田中選手はある行動に出た。学校の部活のほかに、テニススクールに通い始めたのだ。しかも、そのことは友人には誰一人言わななかったという。

「しばらくすると、友だちから『愛美、なんか急にうまくなってない?』と言われるようになったんです。『そうかなぁ?なんでだろうねぇ』なんてごまかしてはいましたけど、内心は『よしっ!』とガッツポーズをするくらい嬉しかったです」

 そんな田中選手が、これまでのテニス人生で最も悔しさを味わったのが、昨年の「全日本選抜車いすテニスマスターズ」(以下、全日本マスターズ)での敗戦だ。同大会に出場することができるのは、その年の日本ランキング上位7人と推薦された選手の計8人のみ。つまり、日本トッププレーヤーたちが集う大会だ。

 田中選手が初めて出場したのは、2015年。強豪選手の体調不良などはあったものの、それでも予選突破を果たして3位に輝き、期待の「次世代プレーヤー」として注目を浴びた。

 そして、2度目の出場となった昨年、田中選手は1年でさらにレベルアップした自分に手応えを感じ、満を持して臨んだ。すると、予選の初戦では北京、ロンドン、リオデジャネイロと3大会連続でパラリンピックに出場したベテラン堂森佳南子選手に3-6、7-6、6-2と逆転勝ちを収め、最高のスタートを切った。

 ところが、同世代である高室冴綺選手にはストレート負け、大谷桃子選手にはフルセットの末に敗れ、予選敗退を喫した。この結果に、田中選手は自分自身に大きく落胆した。

「昨年は、仙台オープン、大阪オープン、台湾オープンと優勝、出場した大会では必ずと言っていいほど決勝に進出するなどして、それなりの結果を残してきたという自信もありました。同世代の中で一番ランキングが上だったこともあって、絶対に負けたくないと思っていたのですが……。練習量も増やして、自分では努力してきたつもりでしたが、それがまだまだだったということを思い知らされました」

 自信を持って臨んだ全日本マスターズでの同世代からの「敗戦」は、大きなショックとともに、田中選手の気持ちを引き締めるものとなった。


テニスとの縁を結んだ「プレーヤー」としの復帰
 今では「テニスは自分の一部。なくては困っちゃいます」と語る田中選手だが、実はもともとは中学でやめようと考えていた。一度きりの人生、さまざまなことを経験したいと思っていたからだ。しかし、周囲は当然のように田中選手が高校でもテニスを続けると考えていた。そんな周囲からの期待に背中を押されるようにして、高校でもテニス部に所属したのだという。そんなふうに一度は離れようとしたテニスを今、生業にしていることについて、田中選手は深い縁を感じずにはいられない。

 テニスとの深い縁を結んでくれた一つには、恩師からのこんな言葉があった。
「テニスプレーヤーとして、戻ってこい」
 高校1年の冬、自宅でケガを負い、車いす生活となった田中選手に、テニス部の顧問の先生はそう言ってくれたのだという。

「最初は『流れ』で高校のテニス部に入ったのですが、やっぱり仲間ってすごく大切で、私はテニスというよりもテニス部が大好きでした。だから、ケガをした後、たとえプレーができなくても、何かでテニス部とつながっていたいと思っていました。『テニス部である』ことが自分自身でしたし、みんなと一緒にテニス部の一員として最後までやり遂げて卒業したいという思いが強かったんです。だから、当初はマネジャーとして戻ろうと思っていました。でも、先生は『車いすでも大会に参加できるような環境を作るから、プレーヤーとして戻ってきなさい』と言ってくれたんです」

 その言葉が、田中選手の気持ちを大きく変えた。入院中、田中選手はリハビリテーションの一環として車いすテニスを経験していた。だが、退院後、練習会への勧誘はあったものの、実は彼女自身は車いすテニスにはあまり乗り気ではなかった。

「リハビリでやった時、車いすの操作がうまくできなくて、思うように動けなかったんです。だから、それまでやっていたテニスとのギャップを感じて、もしかしたらテニスが嫌いになってしまうかもしれないと思うと怖くて、やりたいとは思えませんでした」

 しかし、顧問の先生の言葉が、田中選手の気持ちを大きく動かした。何よりも、大好きなテニス部に一番いいかたちで戻りたいと思っていた。それがもし、プレーヤーとしてであるならば、そうしたいと思ったのだ。
 実際、ローカルな大会ではあったが、健常者に交じって、田中選手はテニス部の一員として大会に参加。プレーヤーとして充実した3年間を過ごしたことが、卒業後、アスリートとしての道を切り開いた重要な要素となったことは言うまでもない。


本格化し始めた「世界トップ」への挑戦
 田中選手の最大の武器は、小さな体格ながらラケットの力をボールにうまく伝える技術による「パワーショット」。特にフォアハンドから、ネットぎりぎりの低くて速いボールが彼女に勝機を見出す得意のショットとなっている。相手のミスを待つ「粘り強さ」ではなく、どちらかというと、自らが主導権を握り、勝負をしかけていく「攻撃的なテニス」が田中選手のスタイルだ。

 そんな彼女が今、最大の課題としているのが「試合と練習とのギャップをうめること」にある。練習で繰り返しトレーニングしてきたことを試合で出す。これは「言うは易し、行うは難し」だ。相手や環境、その日の自分のコンディショニング、そして試合中、目まぐるしく状況が変わる中で、いつ、どのようなショットを繰り出すのか、瞬時の判断力が求められる。

 そして、もうひとつ、田中選手にとって大敵となっているのが「メンタル面」。「ここぞ」という時にこそ、緊張で体が硬直し、思うようなプレーができないことが少なくないからだ。

 その対策として、今年の夏から試していることがある。それは「歌を歌うこと」だ。実は音楽が好きな田中選手は、ふとした時に、よく歌を口ずさんでいるのだという。そんな姿をよく目にしていた岩野耕筰コーチからの提案だった。
「自然と歌を口ずさんでいる時って、彼女が一番リラックスした状態だと思うんです。ですから、試合でもそれを活用したらいいんじゃないかなと」

実際、田中選手の緊張をほぐし、練習通りのプレーを試合で出す方法として一定の効果が表れている。

 現在、世界ランキングは15位。当面の目標は、パラリンピックに次いでグレードの高い「グランドスラム」(全豪、全仏、ウィンブルドン、全米)への出場権を得ることができる「トップ8入り」だ。しかし、トップ10前後からトップ8にのぼりつめるのが、実は非常に難しい。

「トップ8に入るには、今その中に入っている選手を誰かしら倒さないといけない。なので、来年は大きな大会で勝てるような選手にならなければいけないと思っています」

 2018年シーズン、田中選手にとって、本当の勝負が始まる――。



田中 愛美(たなか まなみ)

車いすテニス/ブリヂストン所属
1996年6月10日、熊本県生まれ。
中学から硬式テニスを始め、3年時には部長を務める。
高校入学後も硬式テニス部に所属。
1年時の冬に自宅で転落事故に遇い、車いす生活となる。
高校卒業後、本格的に車いすテニスプレーヤーとしての道を歩み始め、
パラリンピック出場を目指す。
2016年、「世界国別選手権」に日本代表として出場し、3位入賞。
同年、「全日本全日本選抜車いすテニスマスターズ」に初出場し3位に。
2017年11月13日現在、世界ランキングはシングルス15位、ダブルス12位。
 
取材・撮影:越智 貴雄  取材・文:斎藤 寿子