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ATHLETES' CORE

パラアイスホッケー


2018年3月9日に開幕する平昌パラリンピック。4年に一度の「世界最高峰の舞台」に初めて挑むのが、パラアイスホッケー日本代表の児玉直選手だ。代表チームの中では2番目に若く、最も成長著しい選手の一人として、今、注目されている。そんな児玉選手に転機が訪れたのは、2017年10月に行われた平昌パラリンピック最終予選だった――。日本のパラアイスホッケー界において待望の新戦力となった児玉選手に迫る。
突如訪れた“ビッグチャンス”
2017年10月、スウェーデンで行われた平昌パラリンピック世界最終予選。出場5カ国中、上位3カ国に最後の切符が手渡されることになっていた。

実はその直前まで、児玉選手は「第3ライン」の一人だった。日本チームでは3つのライン(5人の組み合わせ)があり、なかでも第1、第2ラインは、チーム戦略の柱とされ、重要な役割を担っている。これまで、第3ラインのメンバーだった児玉選手は、試合でベンチを温めることが多かった。

ところが、最終予選の現地で行われた直前合宿の最中、突然、児玉選手の前に大きなチャンスが転がり込んできた。数日後に予選を控えたその日、中北浩仁監督がそれまでフォワードだった三澤英司選手をディフェンダーとして起用したいという意向を示した。予選を勝ち抜くためには、ディフェンスをより強化させたいという考えからだった。それに異論を唱える者はいなかった。

だが、三澤選手をディフェンダーに置けば、当然、それまで彼が担っていたフォワードのポジションが空いてしまう。そこに誰を置くかが問題だった。すると、エース熊谷昌治選手がある若手の抜擢を提案した。児玉選手だった。

「熊谷さんが、僕の成長を感じてくれていたみたいで、『児玉はどうですか?彼、いいですよ』と言ってくれたんです。それで急きょ、第2ラインに上がることになりました」

嬉しさの反面、不安もあった。
「2大会ぶりのパラリンピック出場をかけた大事な最終予選で、果たして自分はチームの戦力になるのだろうか……。とにかくチームの足を引っ張らないようにしなければ」
これまでに経験したことのないプレッシャーが、児玉選手にのしかかってきていた。

だが、コツコツと積み上げてきた努力の日々が、児玉選手を後押ししたのだろう。最終予選の初戦、ドイツ戦でいきなり得点を挙げてみせたのだ。その試合、日本は6-2で快勝し、幸先よいスタートを切ると、その後、スウェーデン、スロバキアと連勝し、1試合を残してパラリンピックへの切符獲得。フォワードとしての役割を果たした児玉選手への評価も高まった。

それは、予想だにしていなかった突然のチャンス到来だった。それでも、しっかりとそのチャンスをものにした児玉選手。今、彼は日本代表に欠かすことのできない存在の一人となっている。


「二度と味わいたくない」苦い過去
 その4年前の2013年、同じパラリンピック世界最終予選、児玉選手の姿は氷上にはなかった。ベンチメンバーに入ることができず、スタンドから仲間たちの戦いを見守ることしかできなかったのだ。

 しかも、2010年バンクバー大会で銀メダルに輝き、大躍進を遂げた日本が、その最終予選ではソチ行きの切符を掴むことすらできずに終わった。「悔しさ」という言葉では言い表すことのできない気持ちが、児玉選手の中に沸々と湧き上がっていた。

「当時からチームの平均年齢は40代で、ベテラン選手が頑張っていました。そんな中、当時20代の自分は、チームの何の力にもなれず、ただスタンドで座っているだけ。応援しながら、『自分はここで何をしているのだろう』と思いました」
 何もできない自分への情けなさに、児玉選手は打ちひしがれていた。

 さらに、児玉選手にとってショックだったのは、1996年長野大会で出場して以来、初めてパラリンピックの切符を逃したという、突き付けられた日本パラアイスホッケー界の厳しい現実だった。

「僕自身、どこかで『大丈夫だろう』という甘い気持ちがありました。日本がパラリンピックに行けないなんてことは、まったく想像していなかったんです。でも、現実は違っていた。『あ、もうこのままでは通用しないんだな』と。それと、負ければ、先輩たちが積み上げてきた4年という長きにわたる努力の日々が、こうして一瞬にして消え去ってしまうんだなと。パラリンピックを目指す本当の厳しさを目の当たりにしました」

 あの時、スタンドで味わった感情は、今もはっきりと覚えている。
「もう二度と味わいたくない」
それが、児玉選手の大きなモチベーションとなっている。


平昌パラに向けた「決心」
現在、児玉選手が最大の課題としているのが「1対1」の強さだ。昨年末からは、自らドリブルで相手を抜く特訓を行なってきた。

きっかけは、昨年の世界選手権後に行われたプライベートでの勉強会。そこで、パラリンピックに2度出場し、2010年バンクバー大会では銀メダル獲得の立役者となった上原大祐選手にこう言われたのだ。

「直、もっとドリブルで行ってみろよ」

その瞬間、ついにこの時が訪れたことを覚悟するような気持ちが沸きあがってきた。実は、自らもその課題に気付いていたのだ。だが、「自分にはまだその力はない」と踏み出せずにいた。しかし、チームの勝敗に深くかかわるようになった今、それは逃げでしかなかった。

「直にならできるし、次へのステップとして挑戦していこうぜ」
 そんな意味が込められた先輩からのメッセージに、児玉選手は応えたいと思っている。

「それまでパックをもらった時の選択肢に『ドリブル』はありませんでした。とにかくいかに味方にいいパスを出すか。そして、自分も走って味方からパスをもらう。それが今の自分には最善のプレーだと思っていたんです。でも、やっぱり1対1の力がなければ勝つことはできません。5人でのチームプレーとは言っても、それは1対1の力が結集されて成り立つものですからね」

だが、1対1の勝負には、当然リスクもある。ドリブルでの突破が失敗に終われば、カウンターをくらい、逆に相手にチャンスを与えてしまう可能性もあるからだ。だからこそ、技術や経験もさることながら、まず最初に必要とされるのが「勇気」だ。そして、その「勇気」がチームの勝機を見出す原動力となる。児玉選手は、そう信じている。

 しかし、「勇気」を出すことはそう簡単なことではない。
「1対1の場面でも、周りにいるもう1人、2人いる相手の選手が目に入ると、パスではなくドリブルで抜こうとすれば2対1になる恐れがある、ということが頭をよぎるんです。そうすると、一瞬ドリブルする手が止まってしまう。でも、そこで勇気を振り絞って挑戦していかなければ、何も始まらない。そのことはこれまで何度も味わってきました」

 だからこそ、今、決心していることがある。
「平昌では、必ず勇気を出して、1対1の勝負をします」
「つもり」でもなく「思う」でもなく、言い切ったところに、児玉選手の決心の強さが窺い知れる。

 開幕まで残り少ない日々、最後まで努力を積み重ね、「勝負の時」を迎えるつもりだ。



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児玉 直(こだま なお)

パラアイスホッケー/川越市役所、東京アイスバーンズ所属
1986年12月27日、東京都生まれ。
兄の影響で小学生の時からバスケットボールを始め、中学時代はバスケ部に所属。
中学3年の時に骨肉腫を患い、高校時代はバスケ部のマネジャーを務めた。
2010年から川越市役所に勤める。
2011年に東京アイスバーンズに加入し、パラアイスホッケーを始める。
翌12年から日本代表の強化合宿に参加、
海外遠征のメンバーにも選ばれるようになる。
2017年10月の最終予選で活躍し、平昌パラリンピック出場に大きく貢献。
初めてのパラリンピックに挑む。
 
取材・撮影:越智 貴雄  取材・文:斎藤 寿子