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ATHLETES' CORE

クロスカントリー/バイアスロン


 平昌パラリンピック日本代表の一人、新田のんの選手。クロスカントリーのシットスキーを使用する「座位の部」では唯一の日本人選手だ。彼女に初めてインタビューをしたのは、2年前の2016年3月。当時、クロスカントリーを始めてまだ3カ月も経っていなかった彼女は「19歳の女の子」という印象が強かった。しかし、それから1年後の2017年3月、彼女の姿はそれとはまるで違っていた。レースに臨むその目には、1年前にはなかった鋭さがあり、彼女の姿は勝負に挑む「アスリート」となっていた。その新田選手が2018年3月、初めてのパラリンピックに挑む――。

​五分五分だった平昌への可能性
 2018年2月、新田選手の元に一通の通知が届いた。それは、日本パラリンピック委員会(JPC)が彼女を日本代表として平昌パラリンピックに派遣することを正式決定したという知らせだった。

「平昌に出られるかどうかは、五分五分と言われていて、ずっと緊張した気持ちで決定を待っていました。だからJPCからの通知が届いた時には、もう本当に嬉しくて嬉しくて……」
 午前の練習を終え、午後の練習までの睡眠の時間だったが、新田選手は嬉しさのあまり興奮を抑えることができず、とうとう眠りにつくことができなかった。

 もともと小学生の時から車いす陸上をやっていた新田選手にとって、夏と冬との違いはあっても、「パラリンピック」は憧れの舞台だった。だが、「いつかは」という気持ちはあったものの、陸上ではこれまで一度も現実のものとして考えることができなかった。

わずか2年前、シットスキーを始めたばかりの頃もまた同じだった。まさかこんなにも早く「世界最高峰の舞台」に上がれる日が来るとは、本人も想像すらしていなかった。実際、当時のインタビューでは「パラリンピックは、自分にとってまだまだ遠い存在でしかない」と語っていた。

 しかし、その一方で「でも、やるからには、いつか必ず出たい」という言葉も聞かれていた。その「いつか」が、早くも訪れようとしていることに、新田選手も驚きを隠せない。

だが、日本代表に選出されたのは決して「奇跡」ではない。意識の変化によって、新田選手自らが引き寄せたものだった。

「スイッチ」が入った初の海外遠征
 新田選手が初めてシットスキーに乗ったのは、2015年12月のことだ。車いす陸上でマラソン大会や国民体育大会などに出場していた彼女の存在を知っていた荒井監督からの誘いがきっかけだった。

「もともと雪国に住んでいましたし、自然が大好きなので、シットスキーには興味を持っていたんです」
 ちょうどその1年前に旭川で行われたW杯を観戦に訪れていた新田選手は、その時から興味を持っていたという。

 実際にやってみると、「楽しい」のひと言に尽きた。もちろん、雪道を上半身だけで滑るのは苦しくもあり、なかなか思うようにはいかない難しさもあった。だが、予想以上のスピード感と、大自然の中を滑るその快感は、何物にも代えがたいものがあった。

とはいえ、このときはまだ新田選手にとってクロスカントリーは「競技」ではなかった。「いつかはパラリンピックに出たい」とは思っていたものの、今振り返ると、その時はまだ楽しいから滑っていたに過ぎなかった。

 そんな新田選手の意識が変わるきっかけとなったのは、2016年12月に初めて臨んだ海外遠征、フィンランドでのW杯だった。結果は、トップとの差が「秒差」ではく「分差」であったことを考えれば、「さんざん」と言っても過言ではなかった。しかし、意外にもそう大きく落胆はしなかったという。

「世界との差があることは最初からわかっていましたから、『やっぱりこれくらいあるのか』と確認した感じでした。それよりも、始めてまだ1年の自分がW杯に出場させてもらえたことだけでもありがたいと思いましたし、『よし、じゃあ、これからどうやって世界との差を縮めていこうか』ということの方が大きかったんです」

 初めての海外遠征は、新田選手にプラスの「刺激」を与えた。現在、国内のパラノルディックスキー界で「座位の部」の選手は、男女あわせても新田選手ただひとり。そのため、常に「仲間が欲しい」と思っていた彼女にとって、同じシッティングスキー仲間がいることが嬉しかったのだという。

 さらに、そこには国内では見たことがなかったさまざまなかたちのシットスキーや滑り方があった。
「自分にはいったいどれが合うのだろう。何を取り入れることで、もっと速くなれるのだろう」
新田選手は、ワクワク感が止まらなかった。

 そんな刺激が、彼女の「スイッチ」を入れた。「やるべきこと、やれることは、たくさんある」という思いと同時に、芽生えたのは「限界までやったら、どれだけ強くなれるのだろう」という思いだった。

「それまでの自分の人生を振り返ってみて、限界まで頑張ったことってあったかなぁと考えてみたんです。そしたら、スポーツにおいては、もっとできたんじゃないかなって。だったら、スキーでは限界までやってみようと思いました」

帰国後、それまで週に2、3日だった練習は、ほぼ毎日となり、新田選手の意識も体も、少しずつ「アスリート」へと化していった。


「自分越え」に挑む初のパラリンピック
 平昌のコースは、昨年3月のW杯で経験済みだ。アップダウンが激しく、しかも一つ一つの坂道が長いため、体力的には非常に厳しい。新田選手がこれまで経験した大会の中で、最も厳しいコース設定だという。

実は上り坂を最大の課題としている新田選手。最も海外の選手と差が開くのは、その上り坂だ。スピードを落とさずに勢いよく上っていくほかの選手とは異なり、これまでの新田選手は急ブレーキがかかったかのようにスピードが落ちることもあった。

そのため、これまで特に力を入れて取り組んできたのは、上り坂で耐えうるフィジカル強化とフォーム改善だ。以前は平地と同様に大きく腕を振っていた新田選手だが、上り坂では最後まで腕を後方に振り切った後に、前方へストックを持ってくる時にかかる負担が大きい。そこで、海外の選手を参考にして取り入れたのが「ピッチ走法」だ。腕の振りを細かく速くすることで、腕への負担を減らしたのだ。

 その練習の成果が出たのは、昨年3月の札幌でのW杯だ。それまで一度も勝つことができなかった同じアジア人で障がいのクラスも同じVo-Ra-Mi Seo(韓国)に、ミドル・フリーで競り勝ち、4位入賞を果たした。

「まだまだ世界との実力差があるのが現状です。でも、せっかくパラリンピックの舞台で戦うチャンスをもらったのだから、そこでしか味わえないことを精一杯経験してきたいと思います。そのためにも、残り少ない日々、しっかりと準備していきます」

 平昌パラリンピックで新田選手が出場するのは、競技5日目の3月10日に行われるクラシカル・スプリント(1km)だ。特に、傾斜の厳しい下り坂を滑り降りてこなければならない最後の急カーブでは注意が必要だ。腹筋を使うことができない新田選手は、できるだけスピードを殺さずに体のバランスを保つためには、両腕が頼りとなる。

昨年のW杯ではストックが短く、うまく雪上を突けずにバランスを崩して転倒している。あれから1年、どんな状態でも体のバランスがとれるように両腕を鍛え、さらにストックも少し長めにした。今度こそ、転倒することなく、勢いよくゴールするつもりだ。

 目標は、その時のタイムを上回ること。
「1年間、練習を積んできたので、昨年の自分よりも速くなっていないとおかしい。内容もタイムも、1年前の自分を上回り、必ず次につながるレースにしたいと思います」

 クロスカントリーを始めて2年。初めてのパラリンピックでは、「自分越え」に挑む。


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新田 のんの(にった のんの)
 
クロスカントリー・バイアスロン/北翔大学
1996年7月23日、北海道生まれ。
小児がんの神経芽細胞腫で生まれつき両下半身麻痺。
小学3年から車いす陸上を始め、
2015年には大分国際車いすマラソンに初出場を果たす。
2015年12月からクロスカントリーを始め、
翌12月、W杯フィランド大会で海外レースデビュー。
2017年3月のW杯札幌大会ではクラシカル・ショートで4位入賞。
同年4月より北翔大学に編入した。
2018年3月、ノルディックスキー座位の部では
日本人唯一の代表として平昌パラリンピックに出場する。
 
 
取材・撮影:越智 貴雄  取材・文:斎藤 寿子