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ATHLETES' CORE

車いすフェンシング


1年以上もの間、彼は悩み、苦しみ続けてきた。その答えをようやく見つけ出したのは、昨夏のことだった。20年以上、人生の全てをかけて戦ってきた舞台を離れ、彼は新しい世界へ飛び込む決意をした。車いすバスケットボールから車いすフェンシングへ――安直樹、38歳。ゼロからのスタートを切ったアスリートの姿を追った。
バスケ引退の裏側にあった苦しみ
安選手は、車いすバスケットボール選手としてジュニア時代から活躍し、2004年にはアテネパラリンピックに出場。2007年からは3シーズン、日本人初のプロ選手としてイタリアリーグでプレーした。そんな輝かしい実績をもつ安選手だが、ここ数年は人知れず悩みを抱えていた。

「自分ではまだまだやれるという自信がありました。ただ、日本代表として結果を出すということが難しい立場になってきていたということも事実です。ここ数年は、これからどうしていくべきかを色々と悩んでいました」

 そんな彼に、新しい世界へ踏み出すきっかけを与えたのが、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催決定だった。「もしかしたら、他の競技で東京を目指すという選択肢もあるのではないか」。そう思えたのだ。とはいえ、すぐに決められたわけではない。彼にとって車いすバスケは人生そのものだった。それを簡単に手放すことなどはできるはずもなかった。

「1年以上かけて考え続けて、答えを出しました。正直、5、6年後、車いすバスケでの自分というものをイメージすることはできなかった。それだったら、思い切って他の競技にチャレンジした方が、可能性もやりがいもあるんじゃないかなと。バスケを辞めることは本当に辛かったけれど、方向転換することを決意しました」

 こうして安選手は、アスリートとしての新たなスタートを切った。

 バスケからの引退を決意した後、さまざまな競技を体験し、「これだ」と決めたのが車いすフェンシングだった。わずか1メートルほどしかない距離で、逃げることの許されない厳しい環境の中、瞬時の駆け引きが勝負を決める。そんな独特な世界観に魅力を感じたのだ。

初勝利を生み出した冷静さ
「力まない」。フェンシングを始めて以来、最も課題としていることのひとつだ。一瞬の勝負であるフェンシングではスピードが重要となる。そのスピードに不可欠な要素だからだ。

「力が入ってしまうと、その分動きが硬くなって、スピードが鈍ってしまう。だから力を抜くことが非常に重要となるんです。そのためには、どんな状況下でも冷静でいなければなりません」
 しかし、初めはなかなか思うようにいかなかった。「巧くなりたい」「勝ちたい」という向上心が、どうしても力みを生み出した。

「闘争心を持ちながら、頭は冷静に」。その感覚をようやく掴んだと感じたのは、今年9月の世界選手権(ハンガリー)だった。安選手は個人フルーレの予選で、約1カ月前に初の国際大会として臨んだワールドカップ(ポーランド)で1-5と完敗した相手と再び剣を交わした。しかし、この試合でも2-4と追い込まれてしまう。ところが、そこから3連続ポイントを奪い、5-4と逆転勝利を収めたのだ。

「2-4と追い込まれた時、一瞬『やばいな』と思ったんです。でも、すぐに冷静になって『これまで練習してきたことをやるだけ』というふうに切り替えることができた。それで余計な力が入らずに、3連続ポイントにつながったのだと思います」

 国際大会2度目にして挙げた初勝利。それは単なる1勝ではなく、冷静になることの重要性、そして力感のない動きがどういうものなのか、それを掴み始めた貴重な勝利だった。

「過去」の経験があっての「今」
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アスリートとしてのセカンド・ステージを歩み始めて半年が過ぎた今、安選手にはあるひとりの恩師への感謝の気持ちが沸き起こっている。昨夏まで4年間所属していた車いすバスケチーム「NO EXCUSE」の及川晋平ヘッドコーチ(HC)だ。

「良くも悪くも、それまで本能のままにプレーしていた僕に、気持ちをコントロールし、冷静にどうすべきかを考えることの重要性を教えてくれたのが、及川さんでした。今、練習でも試合でも、何が良くて何が悪かったのか、どうすべきかをきちんと考えることができているのは、車いすバスケでの経験があるからこそ。及川さんには本当に感謝しています」

 一方、及川HCの目にも、4年間で安選手が変わっていく姿が映っていた。
「彼は真面目で努力家、そして高い素質を持ったプレーヤーです。だた、加入した頃は感情的になって崩れてしまうところがありました。でも、徐々に冷静さを保てるようになっていった。チームが2012年、2013年と連続で日本選手権の決勝に進出できたのは、彼のそうした成長があったからこそ。エースだった彼と2人で過ごす事も多く、僕にとっては非常に貴重な時間でした。彼がそこで得たことが今につながっているのだとしたら嬉しいし、コーチ冥利に尽きますね」

 勝負のステージは替わったものの、バスケ時代の経験は、「フェンサー 安 直樹」にしっかりと継承されている。

 現在の目標はあくまでも2020年東京パラリンピックでのメダル獲得。だからこそ、今は目先の勝ち負けに一喜一憂することはない。世界選手権での1勝も「勝ちにいった」のではなく、「やることをやった」結果だと捉えている。

「今はしっかりと基礎を固めること。きちんと段階を踏んでいかなければ、東京で結果を出すことはできません。パラリンピックはそんな甘い世界ではありませんから」

「冷静に、淡々と」やるべきことをやり続ける。それこそが、東京への一番の近道。安選手はそう信じて、これからも着実に、そして確実に歩み続ける。

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安 直樹 (やす なおき)

車いすフェンシングカテゴリーA/エイベックス所属
1977年10月6日、茨城県生まれ。14歳の時に左足股関節骨の病気を発症。
その時に受けた手術ミスにより股関節が曲がらない後遺症を負う。
母親の勧めで始めた車いすバスケットボールでジュニア時代から活躍。
日本選手権でMVPに1度、得点王に2度輝くなど国内トッププレーヤーに躍り出る。
2004年にはアテネパラリンピックに出場。
2007年からは3シーズン、イタリアリーグでプレーした。
2010年に帰国し、NO EXCUSEに所属。
2012、2013年にはエースとしてチームを日本選手権決勝に導いた。
2015年3月に車いすフェンシングに転向し、
7月には初の国際大会としてワールドカップ(ポーランド)に出場。
9月の世界選手権では初勝利を挙げた。
2020年東京パラリンピックでのメダル獲得を目指している。
 
取材・文 : 斎藤 寿子