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競泳


「出場したい」と思っていた北京大会。「メダルを取りたい」と思っていたロンドン大会。過去2度のパラリンピックは、木村敬一選手にとって自分自身における挑戦の場だった。しかし、3度目のパラリンピックは少し……いや、だいぶ意味合いが違ってきている。「金メダルを取らなければならないと思っています」。1年を切った来年のリオデジャネイロ大会への思いを訊くと、迷うことなく彼はこう言った。それは、自分自身に言い聞かせた必死の「覚悟」のように感じられた。
無欲がもたらした2つのメダル
 木村選手にとって2度目のパラリンピックとなった2012年のロンドン大会は、厳しい幕開けとなった。  大会3日目の9月1日、50メートル自由形に臨んだ。木村選手にとっては「メダルを取るならこれしかない」と、かけていた種目だった。ところが、その思いが強すぎたのか、「いつも通り」の泳ぎではなかった。  結果は5位。 「これで、もう終わった……」。  4年前の北京大会で叶わず、「どうしても取りたい」と思い続けてきたメダルは、またも自分には届かなかった――。 「この4年間は、いったい何だったんだ……」  木村選手の心は完全に折れてしまった。  

ところが、その2日後、木村選手は100メートル平泳ぎで、堂々の銀メダルを獲得した。果たして、どう気持ちを切り替えたのか。 「もうメダルは無理だと思っていましたから、いい意味で開き直れた。それが大きかったですね。正直、次のレースでも完全には気持ちを切り替えられてはいませんでしたが、それでも水中に入ったら自然と体が動きました。勝ち負けのことを考えずに泳げたのが、かえって良かったのだと思います」  結局、その後100メートルバタフライでも3位に入り、開幕前、「ひとつでもいい」と思っていたメダルを2つも獲得することができた。当時はその結果に、十分満足していた。しかし、彼の気もちはそこで止まることはなかった。  

帰国後、当時大学4年生だった木村選手は、教育実習、卒業論文などに追われ、また友人との卒業旅行を楽しむなど、最後の大学生活を満喫した。だが、その間にも常に頭には4年後のリオデジャネイロ大会のことがあった。金メダルへの思いが、沸々とわいてきていたのだ。

あくまでも通過点のリオ内定
 今年7月、英国・グラスゴーで行われた世界選手権に出場した木村選手は、100メートル平泳ぎ、100メートルバタフライで2冠を達成。早くもリオ出場が内定した。しかし、彼には浮かれた様子は微塵もない。それどころか、さらに気を引き締めているかのようにさえ感じられる。その理由を、木村選手はこう語る。 「世界選手権で優勝できたことは本当に良かったと思います。でも、僕の目標はパラリンピックに出場することではない。そこで勝つことなんです。世界選手権はその通過点に過ぎません。それに、あのタイムで来年のリオで勝てるとは思っていません。もっと、記録を伸ばしていかないといけないと思っています」  

実は世界選手権後、木村選手は指導を受けている野口智博先生(日本大学文理学部教授)から、こんな助言を受けていた。
「いいか木村、内定したということがどういうことか、ちゃんと考えろよ。これからサポートは十分にしてもらえるだろう。しかし、それだけ責任があるということだ。リオでメダルを取ることは、お前にとって、もう普通のことでしかないんだぞ」  

一見、非情にも取れる言葉だが、そこには先を見越した意図があった。
「本番が近づくにつれて、木村へのプレッシャーは強くなることは容易に想像できます。その時につぶれてしまっては何もならない。だから、今からプレッシャーを与えておくことで、本番ではそういう状況が当たり前のようになっているだろうと。そうすれば、プレッシャーの中でも、きちんと力を発揮できるはずです」  

おそらく、木村選手も自らの立場は理解していただろう。しかし、野口先生からはっきりと言われたことで、覚悟ができたのではないか。それが金メダルを「取りたい」ではなく「取らなければならない」という言葉にも表れているに違いない。  

しかし、野口先生はその「覚悟」を「自信」へと変えていきたいと考えている。
「今、木村は『金メダルを取らなければならない』と言っていますが、来年3月の日本選手権では『金メダルを取る』と言えるようにしたいと思っているんです」  
このオフシーズンでの成長が楽しみだ。
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すべてはリオで勝つために……
 さて、リオで金メダルを取るためには、世界のトップスイマーたちに勝たなければならない。なかでも、木村選手にとって最大のライバルと目されているのが、中国のヤン・ボズン選手とアメリカのブラッドリー・スナイダー選手だ。ヤン選手はロンドンパラリンピック、100メートル平泳ぎの金メダリスト。彼がその時に出した世界記録を、木村選手は未だ破れていない。一方、スナイダー選手には昨年アメリカで開催されたパンパシフィック・パラ水泳大会の100メートルバタフライでタッチの差で負けている。  

リオで彼らに勝つために、木村選手は今、水泳漬けの毎日を送っている。練習は週に6日。そのうち2日は1日2回練習があり、合わせて週に10回、水中練習、陸上トレーニング、ウエイトトレーニングを行っている。週末には大会や講演などが入ることも少なくなく、完全休養日は、月に1、2回ほどしかない。その休日は、もっぱら疲労をとるために使うという。  そんな今を、木村選手は「これまでで一番の試練」だと感じている。 「今ほど辛いことはないはずだ、そう自分に言い聞かせています」  そこまでして、なぜ泳ごうとするのか――。  

この質問に、木村選手はこう答えた。 「辛いと思うことはありますけど、それでもパラリンピックで勝つという目標はまったくブレることはないんです。だから挑戦し続けられているのだと思います」 「試練の今」を、木村選手はどう乗り越え、リオの地で、どんな泳ぎを見せてくれるのか。まだ見ぬ世界の頂点に向けた挑戦は、これから本番を迎える。

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木村 敬一(きむら けいいち)

水泳競技S11クラス/東京ガス株式会社所属
1990年9月11日、滋賀県生まれ。
2歳の時、増殖性硝子体網膜症を患い、全盲となる。小学4年から水泳を始め、
中学3年時には世界ユース選手権大会に出場し、50メートル自由形で金メダルを獲得した。
高校3年時に出場した2008年北京パラリンピックでは100メートル平泳ぎで5位、
100メートルバタフライで6位に入賞。09年、日本大学に進学。
4年時の12年にはロンドンパラリンピックで銀メダル(100メートル平泳ぎ)、
銅メダル(100メートルバタフライ)を獲得した。2013年、同大大学院進学とともに東京ガスに入社。
7月の世界選手権で2冠を達成し、リオデジャネイロパラリンピック出場が内定した。
 
取材・文 : 斎藤 寿子  取材協力:日本大学文理学部、株式会社フリースタイル1