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ATHLETES' CORE

パラサイクリング


「冷静沈着」という言葉は、彼のためにあるようにさえ思えるほど、落ち着いている。だが、内に秘めているものが誰よりも熱いことは、言葉の端々から伺い知れた。「他者との勝負の前に、まずは自分に勝つこと」が大事とされる自転車競技は、ストイックなまでに自分を追い込むことが必要とされる。そんな過酷な競技に挑戦し続ける藤田征樹選手とは――。
再び世界のトップ争いへ。ロンドンでの銅メダル
「自分は一体、何をしに来たんだろう……」
 2012年ロンドンパラリンピック。藤田選手は、大会前半に行われたトラック種目(トラックコースを周回してタイムを競う)で予想以上の厳しい戦いを強いられた。各選手が1人ずつスタートしてタイムを計測するタイムトライアル(1キロ)では、自己ベストに0.3秒と迫る好タイムを出したものの、結果は20位と惨敗。翌日、ホームストレッチとバックストレッチから1人ずつ選手が同時にスタートし、完走するまでに追い抜きをはかる個人追い抜き(3キロ)では終盤での失速が響き、9位という成績に終わった。彼は、ただただ落胆するしかなかった。

 4年前、初めて出場した2008年北京パラリンピックでは2つの銀メダルを獲得した彼に、周囲は当然のように金メダルを期待していた。しかし、その期待と自分の実力にはギャップがあると感じていた。2010年に行われたクラス分けの変更が、彼により厳しい戦いを強いていたのだ。

「ボクシングで言えば、階級がひとつ上がったという感じで、一緒に競い合う選手たちの実力がグッと上がったんです。すべてにおいて、一つも二つも自分のレベルを上げなければ勝負することができなくなりました」
 まずは周囲に並ぶベースを作らなければ戦いの土俵にさえ上がれない。ほとんど一からのスタートと言ってよかった。

 それでもロンドンパラリンピックの年には、自らの力が上がってきているという手応えを感じるまでになっていた。しかし、それは上昇気流に乗り始めたばかりの段階だった。
「自分がどんどん良くなっていると感じつつも、果たしてどれだけ戦えるのか、という部分での不安を抱えながらロンドンパラリンピックを迎えました」
 前半でのトラック種目では、その不安が的中するかたちとなったのだ。

 しかし、同じパラサイクリングの日本人選手の活躍に背中を押されたこともあり、徐々に後半のロード種目に気持ちを切り替えていった。

 実際、パラリンピック開幕前に手応えを感じていたのは、屋外で行うロード種目の方だった。5月のワールドカップ(イタリア)ではタイムトライアルで4位入賞。それも3位の選手との差は1秒。決して小さくはないが、表彰台に上がる可能性を十分に感じられるものだった。

「思い切っていこう」。そう心に誓い、臨んだロード・タイムトライアル、それまでの厳しいトレーニングで培った力を存分に発揮し、起伏の激しいサーキットに耐えて銅メダルを獲得。それは、藤田選手が再び世界トップ争いに加わったことを示すものだった。

リオで勝つために、有言実行で掴んだ1勝
リオデジャネイロパラリンピックを翌年に控えた2015年、藤田選手が掲げた目標は「1勝を挙げること」だった。クラス分けが変更となって以降、ロンドンパラリンピックを機に、表彰台に上がるようにはなっていた。しかし、世界選手権やワールドカップなど、世界トップを争う国際大会ではまだ一度も優勝はしていなかった。

「2位や3位では、『メダリスト』にはなれても『勝者』にはなれません。勝つというのは、1位になるしかない。その勝つプロセスを1度、自分でやってみないとダメだなと。本番で勝つには、それ相応の準備ができていなければ、奇跡なんてまず起こりませんから」

 そうして臨んだ2015年8月のロード世界選手権(スイス)のロードレース、断続的に有力選手が攻撃を仕掛ける展開の中、藤田選手は残り14キロとまだゴールまで距離がある時点でアタックを掛けた。すると、一気に後続集団との差が開き、独走状態となった。

 残り5キロ地点で、後続とは1分もの差が開いていた。
「並走して走る審判車両が、途中途中で後続とのタイム差をボードに書いて選手に知らせてくれるんです。それを見たら、1分とあったので、『よし、これならいける』と思いました」
 勝利を確信した藤田選手は、さらに後続との差を広げ、終わってみれば約1分半という大差での優勝となった。

 それでも、彼に浮かれた様子は微塵もない。
「目標を達成することができたことには満足していますし、集団から単独で逃げ切って勝ったことは大きな自信にもなりました。ただ、現在トップ選手たちの力は拮抗しています。その中で優勝するというのは、本当に難しい。その日の天候やコースの得意不得意、戦略がはまるかどうか、アクシデントの有無ということもある。そういうちょっとしたことで、結果は変わってくる。ですから、決して油断はできないですし、リオデジャネイロまでにやるべきことはまだたくさんあります」
 パラリンピック開幕まで、約半年。「淡々と」「着々と」準備を進めていくのみだ。

訓練でこそ生まれる『しっかりと苦しむ』覚悟
それにしても、なぜ、彼は過酷な競技をやり続けているのか-―。

 彼は、少し間を置き、こう答えた。
「自分への挑戦なのかもしれないですね」
 そして、こう続けた。

「自転車レースのトレーニングって、『練習』というより、『訓練』なんです。もちろん、技術的な練習はとても重要ですが、基本的には訓練によってより強度が高く持続時間の長い運動に体を順応させるというのが大切です。しかしそれは、すぐに成果が出るわけではありません。ティッシュペーパーをさらに1枚1枚に分けたような薄いものを、ちょっとずつ積み重ねていく。そんな感じです(笑)。そうして、本番では『しっかりと苦しむ』という覚悟を決めて臨むこと。勝つためには、ライバルもみんな苦しい中で、そこでいかに苦しいのを我慢できるか、なんです」

 周囲から見れば、藤田選手には十分、自分への厳しさがあるように感じられるだろう。しかし4年前、自分の甘えた考えに気づかされたことがあったという。
「当時も本気で『もっと強くなりたい』と思っていました。でも、自分の目標のために、節制したり自分に厳しくしていたつもりでも、やっぱり考え方に甘い部分があったな、と。今考えると、確かにそうだったなと思いますが、その時はわかっていませんでした。そこを厳しく、的確に指摘してくれた人がいたんです。その時に、クラス分けの変更のことも勝てなくなった言い訳にしていたのかもしれないと気づかされました」

 それ以降、練習はもちろん、普段の生活においても、競技者としてどうあるべきかをより真剣に考えるようになったという。昨年、2009年以来、6年ぶりに挙げた1勝は、その延長線上にあった。

 いかに自分を強く保つことができるか。そうした「自分への挑戦」の先にこそ、パラリンピックでの金メダルがある。

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藤田 征樹(ふじた まさき)

パラサイクリング・C3クラス/日立建機株式会社勤務
1985年1月17日、北海道生まれ。
小学生の時は地元のスポーツ少年団でスピードスケートをし、中学・高校時代は陸上部に所属。
東海大学では2年時よりトライアスロンのサークルに入ったが、
その年の夏に自動車事故で両脚を損傷し、下腿部を切断した。
2年後の2006年に義足でトライアスロンの健常者レースに出場、
翌2007年からはパラサイクリングの日本代表入りを果たす。
2008年北京パラリンピックでは1キロタイムトライアル(TT)、3キロ個人追い抜きで銀メダル、
ロードTTで銅メダルを獲得した。
2009年のトラック競技世界選手権では1キロTTで初優勝。
2012年ロンドンパラリンピックではロードTTで銅メダルを獲得した。
2015年ロード世界選手権ではロードレースで優勝し、6年ぶりとなる世界選手権での勝利を挙げた。
 
取材・文 : 斎藤 寿子