障がい者スポーツを応援する:SPORTRAIT

THE SUPPORTERS

藤井 郁美さん

クックパッド株式会社 宮城マックス/スクラッチ

車いすバスケットボールの藤井新悟選手にとって、郁美さんは宮城マックスに共に所属するチームメイトであり、共に日本を代表するアスリートという同士、そして、1歳の子どもを持つ“パートナー”でもある。そんな様々な側面を持つ彼女に、車いすバスケットボールを通した普段のおふたりやこれまで、そして、今後についてお話を伺った。
世界で突き付けられた厳しい現実
Q.仙台を拠点とする「宮城マックス」で活動することになったきっかけを教えてください。
車いすバスケットボールのクラブチーム「宮城マックス」を初めて知ったのは、私が車いすバスケを始めてまだ1,2年の頃でした。当時所属していた神奈川のチームと「宮城マックス」が練習試合をしたんです。厳しく激を飛ばす岩佐義明監督の下、ピリリと良い緊張感を持ってバスケをする「宮城マックス」というチームは強く印象に残りました。それから数年後、アテネパラリンピックが終わって、次の北京を目指す日本代表の選考合宿に呼ばれた際、日本代表監督に就任した岩佐監督と再会しました。プレイに気持ちが入っていないと、大きな声で怒られたり、コートの外に出されたりと厳しい岩佐監督に「怖い、とても無理」と何度も思いました。でも、その後オランダで行われた世界選手権で、フィジカルをはじめ、あらゆる面でまだまだ世界に通用しないという厳しい現実を突き付けられた時、「勝ちたい、岩佐監督の下でしっかりバスケを学びたい」という思いがわいてきて、帰国する頃には、仙台へ行こうと決めていました。
「宮城マックス」に加入したばかりの頃は、相手へのプレッシャーへの当たりが強く、スピードも速い男子の練習に身体がついていけなくて、全部こなせませんでした。そんな私に「宮城マックス」のメンバーは容赦なく発破をかけてきましたし、更に上のレベルを求めてきました。自分より上手い選手ばかりの環境の中、そこに追いつこうと毎日必死でした。でも、そんなふうに男女関係なく一人の選手として見てくれたことで、私は大きく成長できました。チームのみんなには、バスケのプレイだけではなく、フィジカル、メンタル等様々な面で今も育ててもらっています。



最初の頃は、我慢できず何度もケンカに
Q.普段の新悟選手と郁美選手について教えてください
2人とも所属チームが同じで、共に日本代表を目指しているので、普段からバスケの話ばかりしていますね。家でも録画したNBAの試合を流しながら、気になるシーンは何度も巻き戻して見たりしています。今では、何でもよく話をする私たちですが、「宮城マックス」に入ったばかりの頃は、彼の遠慮のない物言いに「そんな言い方ないんじゃない?」と我慢ができずに言い返し、何度もケンカになりました。当時は、私も早くチームの中で自分の立ち位置を確立したくて一生懸命でしたし、それなりにキャリアを積んできたプライドもありました。
一方でチームの中で中心的な存在だった彼からすると、真っ向から向かってくるメンバーは少なく、私の言葉でハッと気が付いたこともあったそうです。彼を昔からよく知るチームメイトには、「新悟くん、郁ちゃんと一緒になってから柔らかくなったね」と何度か言われたことがありますが、確かに、ケンカをしていた頃は自己中心の言葉を発していた彼が、今では相手の立場に立った伝え方をしている気がします。私たちはお互いに、コートの中のプレイは強気だけど、普段は周りに弱い部分を見せるのが苦手、と実は似た部分を持っているんです。本当は2人とも、そんなに強くありません。だから今では、何かあると、2人で「やだな、もうつらいよ~」とすぐに泣き言を言ったりします、いくら文句を言っても結局はやるのですが、「しんどいよ」って弱音を吐けることが、私たちにとっては大事なんです。不器用にぶつかりながらも真摯に向き合い、丁寧に積み重ねてきたものがあるから、お互いに他の人には言えなかった弱音をすんなり言い合え、最後は前向きになれるのかもしれません。



自分たちにはバスケしかない、できることをやるしかない
Q.これまでを振り返って、印象に残っていることはありますか?
私たちにとって東日本大震災は、大きな出来事でした。震災直後、チームの中には家が流されてしまったメンバーがいたりして、こんな時にバスケのこと考えていいのか、ましてや練習なんてしていいのかという葛藤が2人の中にありました。でも、ある日ふとカレンダーを見て「もうすぐロンドンパラの予選だ、練習しないとやばいね」と、どちらからともなく話が出たんです。自分たちにはバスケしかないし、できることをやるしかないと。
あの時、一人でいたらとてもそんな気持ちになれなかった。2人一緒だったからバスケに気持ちを向けられたのだと思います。そうして臨んだロンドンパラの予選は、残念ながら女子は負けてしまい、とても悔しい思いをしました。その後、結婚・妊娠・出産と続き、私はバスケから離れていきました。産後1カ月の頃、慣れない育児に戸惑い、家でモヤモヤしている私を見て、「とりあえず、体育館の空気でも吸ってみたら?」と彼が言ってくれたんです。いざ体育館に行くと、思ったより身体が動いて、ロンドンのパラ予選で負けた時の悔しい思いが再燃し、気が付くと4か月後には全日本の合宿に参加していました。私が練習や合宿に参加している間は、横浜にいる母をはじめ周囲の人たちが息子の面倒を見ていてくれます。そんなみんなのあたたかい理解と協力があって、私も彼もバスケができているんです。2人で一緒にいれることや、今の環境でバスケができることは、決して当たり前ではない。そのことを忘れてはいけないと思っています。



2人で目指すことになればそれはそれでいいこと
Q.今後について教えてください。
数年前、イギリスの大会で優勝した時、表彰式で国歌が流れました。それを聞いて、何故かすごく感動したんです、海外で聞く国歌がこんなにいいものかと。上手く言葉で説明できないのですが、これが日本の代表として、日の丸をつけて戦うということなのだと実感したんだと思います。世界選手権やパラリンピックなど、もっと大きな舞台だったらと考えるとワクワクします。勝ちたい、負けたくないという気持ちとあの高揚感を知っているから、もっと上にいこうと必死に頑張れます。今回、女子は残念ながらリオにいけませんでしたが、私は2年後の世界選手権、そして、東京を見据えて動き始めています。
彼は、「リオが集大成。全部を出し切ってくる、郁美にバトンを渡す」と言って出発していきました。次は私のサポートをすると言ってくれています、でも、それに対して私は、自分で限界を決める必要はないし、「もう、いらないよ」って落とされるまでやればいいんじゃないのかなって思っています。帰ってきた彼が「まだまだ、やれる」と思い、2人で東京を目指すことになれば、それはそれで嬉しいことです。
私たちはいいことがあっても嫌なことがあっても、気が付いたら結局、バスケのことを考えています。本当にバスケが好きなんだと思います。もし、この先彼が悩んだり落ち込んだりしても、私にはうまい言葉をかけるなんてできません。だから、そんな時は、普段通り一緒に練習をして、話をして、彼の好きな料理を作って、気持ちがバスケに戻ってくるのを待とうと思うんです。結局、決めるのは自分自身。だから、これからも私は“いつも通り”でいるだけです。それが、2人にとって一番いいんじゃないかなと思っています。



藤井 郁美(ふじい いくみ)

車椅子バスケットボール・4.0クラス/
クックパッド株式会社、宮城マックス、スクラッチ所属
1982年11月2日、神奈川県生まれ。
小学校3年生時からバスケットを始め、中学3年生時に骨肉種がわかる。
その後、進学した高校で車いすバスケットボールと出会うが、本格的に競技を始めたのは20歳の頃。
2006年にはオランダで開催された車いすバスケットボール世界選手権に初出場、
2007年の大阪での国際親善大会では全試合スタメンを務めた。
また、2008年のパラリンピック北京大会に出場し4位。
プライベートでは、車いすバスケットボール男子日本代表の藤井新悟選手と結婚、
2015年には息子が誕生。
 
 
所属先:クックパッド株式会社
設立:1997年10月1日
住所:〒150-6012 東京都渋谷区恵比寿4-20-3 恵比寿ガーデンプレイスタワー12F
事業内容:料理レシピサイト『クックパッド』の企画・運営、その他関連事業
     – 会員事業
     – 広告事業
     – その他事業
URL:https://info.cookpad.com/
 
所属先:宮城マックス
ホームタウン:宮城県仙台市
創部:1988年
活動内容:車いすバスケットボールのクラブチームとして、全国各地の大会に出場。
     地域の学校への訪問活動を行うなど、
     車いすバスケットボールの普及ならびに
     障害者スポーツへの理解促進に努めている。
URL:http://miyagimax.com/index.html
 
所属先:スクラッチ
ホームタウン:福島県
創部:2009年
活動内容:東北地方初の女子車いすバスケットボールのクラブチームとして、
     全国各地の大会に出場。
URL:http://scratch-wheelchairbasketball.blogspot.jp/