障がい者スポーツを応援する:SPORTRAIT

THE SUPPORTERS

中澤 薫さん

公益財団法人 日本財団パラリンピックサポートセンター 推進戦略部 プロジェクトリーダー

競技団体支援、そして、普及啓発活動という2本柱で、パラスポーツ支援を行う「日本財団パラリンピックサポートセンター(通称:パラサポ)」。そのパラサポで普及啓発活動を担当し、「パラフェス」や「パラ駅伝」などさまざまなプロジェクトを企画・運営している中澤さん。スポーツの世界に携わろうと思ったきっかけから、プロジェクトへ懸ける想い、そして、今後の展望について、彼女の経験を通してお話を伺いました。
スポーツ新聞をスクラップするスポーツオタク
Q.スポーツに携わる仕事をしようと思ったきっかけを教えてください。
小さいころからスポーツがすごく好きでした。物心ついた時から、スポーツ新聞の切り抜きをスクラップするようなスポーツオタク。Jリーグが発足するとサッカー、長野オリンピックではスキージャンプの原田選手や船木選手、そんなところからスポーツ全般追いかけていました。高校生になると、それだけでは飽き足らず「FC東京」というサッカーチームのスポーツボランティアに参加。当時の東京スタジアム(現・味の素スタジアム)に毎週末通って、大人に交じって試合運営のお手伝いをするんです。といっても高校生なので、チケットのもぎりのお手伝いとか、配布物を配るとか、本当に簡単なこと。その頃から、「将来はスポーツに何か絡んでいたい、スポーツの裏方の仕事がやりたい。作る側に回った方が絶対楽しい。」って思い始めました。
それで早稲田大学スポーツ科学部に入り、本格的に「スポーツビジネス」を学び始めると、その想いは「日本のスポーツ界に貢献したい」というものに変わっていきました。そんな時、幸運なことにアメリカの大リーグチーム「ロサンゼルス・ドジャース」に夏休みを利用してインターンに行くことに。一つの球団が企業として自立し、PRやオペレーションなどそれぞれの部門でトップレベルのスキルを持った人たちが活躍する現場を目の当たりにした時、「いつか絶対、アメリカに勉強しに戻ってこよう」と強く思いました。ただ、ニューヨーク大学の大学院に入学し、「スポーツビジネス」を専門的に勉強する為にアメリカに戻ってきたのは、実はそれから8年後。留学するためのお金はすぐになかったし、日本の商習慣など事業の実態もきちんと理解したかったので、大学卒業後はIT企業に就職してセールスマーケティングの部門で働きました。その期間は「本当にスポーツの世界でやっていきたいのか」というある意味、自分自身へのテストでもありました。


自分の知らない世界がまだまだあった!
Q.留学して感じたこと、そして、パラスポーツに興味を持った理由を教えてください。
就職するとき「28歳になるときに一番やりたいことをしていよう」って決めていました。小学校1年生のとき、「おーい!竜馬」というアニメの剣術シーンを見て剣道を始めたんですが、主人公の坂本竜馬が日本を動かすために脱藩して薩長同盟だなんだと奔走したのが28歳、そのことに影響を受け、自分も28歳で進む道を決めようと思って。27歳を迎えた時、「やっぱりスポーツに戻ろう、アメリカで勉強してスポーツの世界で生きていこう」と退路を断つ決意をしました。いざ渡米すると、日本人はクラスで1人。授業も当然ながら日常会話も英語。加えて課題の多さに押しつぶされそうで、地獄のようにしんどい毎日でした。
でも、3カ月が過ぎた頃、現地で剣道を再開したことが大きな転機になりました。気軽に英語で話が出来る友達が増えたことで英語が一気に上達した上に、東アメリカ大会で優勝するほどハマっていました。言語の問題がクリアになると、授業や課題にも少し余裕が出てきました。大学院の講師の多くがプロチームや競技団体等で働く現役。現場に行く機会も多く、ドジャースでインターンした頃よりさらに進化していることを肌で感じました。また、授業は夜間コースだったので、昼間は日本のプロスポーツチームや関連企業をクライアントに持つ、スポーツマーケティングのコンサルティング会社で働いていました。欧米の先進事例のリサーチや日本からの視察アテンド等を担当したので、必然的に最先端の情報を集約しながら、一方で日本でのリアルな課題感も見聞きすることができました。
そんな中、パラスポーツに興味を持ったのは、「ヤマハ発動機スポーツ振興財団」の奨学金受給者を対象とした3日間の合宿に参加したことがきっかけでした。アスリートと研究者がごちゃまぜになる面白い合宿で、その同期にパラ陸上の芦田創選手や鈴木徹選手がいて交流する機会に恵まれました。彼らをきっかけにはじめてパラスポーツを見た時、「こんな面白いコトやってたんだ!自分の知らない世界がまだまだあった!」って結構、衝撃を受けました。それから、いろんな競技を見るようになりました。パラスポーツって予想外のことがたくさん起こるんです、足でピンポン玉を上げて、口でラケットくわえて卓球しちゃうんだ、とか。これまで見てきたものとは全く違う可能性を感じ、そして、自分が受けた衝撃を伝播させたら面白いだろうなって直感がありました。

誰もやったことがないことをやってみたい
Q.何故、パラスポーツに携わろうと思ったのですか?
ニューヨークにいた頃、大学院の授業やコンサルの仕事を通して、スポーツの課題に真摯に取り組み、前向きに活動されている方々にたくさん出会いましたが、パラスポーツの世界においてスポーツビジネスの分野で貢献しようという人はいませんでした。どうせなら誰もやったことが無いことをやってみたい、これはやりがいがあるなと思ったんです。加えて、出会ったパラアスリートの人間的な面白さも魅力的だったし、彼らの悩みや課題を聞くうちに、何かこの人たちと一緒に世の中を変えていくことができないかと思い始めました。
帰国後、パラサポに入ってからは、パラスポーツの普及啓発を目的としたプロジェクトを担当しています。パラスポーツになかなか触れるキッカケがない人をターゲットにした、音楽とのコラボレーションイベント「パラフェス」、そして、パラスポーツをもっと身近に感じて、競技者も応援も楽しんでもらおうというファンラン「パラ駅伝」等を担当しています。パラサポに入って、最初に任されたのが「パラフェス」でした。実は私、身体の8割はスポーツと音楽で出来てるんじゃないかってくらい、スポーツと音楽が好き。もともと音楽を使ってパラスポーツを伝えたいって構想があったんです。そしたら、いきなりそんな企画をやらないかって話が来て、今も「いいのかな、こんなに楽しんで」って思いながら準備を進めています。チケット買って、会場に行って「ライブ」で何かを楽しむことに喜びを感じる人って、一回生で見て面白いって思えばファンになってもらえる確率が高いと思うんです。入り口が「有名なアーティストを見に来る」でも、パラスポーツやアスリートのカッコよさや私自身が受けた衝撃をきちんと伝えられるコンテンツであれば、その先に繋がっていくと信じています。昨年、本物のコートやトラックで競技を見せたいけど、予算的に床は張り替えられないと悩んでいた時、プロジェクションマッピングで表現する案が出ました。何とか予算にも収まって、最終的に思い描いていた形になりました。出来る出来ないは関係なく頭の中にある「これをやってみたい!」を出してみてカタチにするために、チーム一丸となってと試行錯誤しています。今年も最高にエキサイティングなイベントになりそうで、今から楽しみです。


面白い人たちがまだまだいるんじゃないか
Q.今後について考えていることを教えてください。
昨年、パラフェスのお客さんが「すごい衝撃だった」とか「アーティストを見に来たけど、パラスポーツ面白いって気づいてウィルチェアーラグビーの試合見に行っちゃいました」と言ってくれたこと、そして、出演したアスリートが「競技や選手の魅せ方にこだわってくれたから、参加して楽しかった」と言ってくれたことが本当にうれしかったんです。
私はスポーツが大好きで、これまでスポーツからいっぱいエネルギーをもらってきました。そんなスポーツってコンテンツを通じて、まずは目前のパラフェスで楽しかったと言ってくれる人を増やしていこうと思います。私は、最初にパラスポーツのアスリートと出会ったとき、競技はもちろん、彼ら自身にも感銘を受けました。例えば、義足の選手の競技を初めて観た時「あぁ、そっか、この人足が無いんだ。足が無くても自分より全然高く飛べるし速く走れるんだ」と衝撃を受けました。それまで足が無いということがどんなことかも考えずに、自分のエゴで障がい者に対して勝手に枠をつくっていたことに気付かされました。私の他にも、勝手な先入観を持ってる人は少なくないと思います。でも、一度「パワフルでポジティブ、凄いパワーを持っている人だ」と感じると、勝手にそれは無くなる気がするんです。そのきっかけが「パラフェス」や「パラ駅伝」だったらいいなと思います。実は、障がいがあることを理由に表に出ていない面白い人たちがまだまだいるんじゃないか、と推測しています。そんな人たちが社会にわさわさと出て来ると、みんなの意識は勝手に変わっていって、2020年が終わった時、いろんな人が混ざり合って今より楽しい社会になっているかもしれないと思うと、面白いんです。


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中澤 薫(なかざわ かおる)

公益財団法人日本財団パラリンピックサポートセンター
推進戦略部 プロジェクトリーダー

早稲田大学スポーツ科学部卒業、在学中LA Dodgersでのインターンを経験。
海外放浪、ITベンチャー企業広報を経て
2013年7人制ラグビーのクラブチーム「サムライセブン」立ち上げに参画。
2014年フルブライト奨学生としてNew York Universityへ国費留学、
Master of Science in Sports Business修了。
学業の傍らNYでスポーツマーケティングのコンサルティング会社に勤務。
パラアスリートとの出会いを機にパラスポーツの世界に活動の場を求め、
2016年帰国後より現職。
現在はイベントの企画運営を中心に、
パラリンピック、パラスポーツの普及啓発活動に取り組んでいる。
 
 
所属先:公益財団法人 日本財団パラリンピックサポートセンター
    (英名:The Nippon Foundation Paralympic Support Center)
設立:2015年5月15日
所在地:〒107-0052 東京都港区赤坂1-2-2 日本財団ビル4階
URL:http://www.parasapo.tokyo
 
 
パラフェス

超人たちによるスポーツと音楽の祭典
 
URL:https://www.parasapo.tokyo/parafes/
公式twitter & Instagram:@parafes_2017