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POINT OF THE GAMES

コレだけは覚えておきたい!観戦ルールブック

1
兄のひと言をきっかけに競馬の道へ
 はじまりは、こんな兄の言葉からだった。 「ジョッキーは体が小さい方がいいみたいだぞ」  当時、中学3年生だった常石選手の身長は145センチ。185センチもある大柄の兄がいつも羨ましかった。 「僕と兄は、顔がそっくりなんです。だから、子どもの頃は『僕も同じように身長が伸びるんだろうな』と思っていました。ところが、いつまで経っても伸びない。中3の頃には、もう諦めていました」  身長が低いことが、人知れずコンプレックスになっていた。   そんなある日の事、当時人気絶頂だった競馬のオグリキャップの記事を読んだ兄がこう言った。 「勝義は小さいから、ジョッキーになれるんじゃないか?」  マイナスでしかないと思っていた身長が低いことに対して、初めてポジティブな気持ちが芽生えた瞬間だった。  すぐに母親に頼んで、乗馬の体験教室に行った。馬の上での居心地は最高だった。ふだんにはない「目線の高さ」が何より気持ちよく、嬉しかった。 そしてこの時、悩んでいた進路が決まった。 「競馬学校に行って、騎手になる」  3年後、常石選手は名騎手の息子である福永祐一や、JRA史上初の女性騎手などデビュー前からマスコミに多く取り上げられたことから「花の12期生」と謳われた10人の騎手のひとりとして、プロデビューを果たした。初勝利は、デビュー1週間後の1996年3月10日の中京競馬。 その後、約5カ月間で12勝を挙げ、「騎手人生」のスタートはまさに順風満帆だった。
2
1年を要した「競馬」への気持ちの整理
 ところが、1996年8月、レース中に落馬事故を起こしてしまった。地面に頭を強く打ち、意識不明の状態で病院に運ばれた。しかし、奇跡とも言える回復を見せ、わずか半年後にはレースに復帰し、すぐに格式のあるG1レース中山大障害や重賞レースで優勝してみせた。  再び悲劇が起こったのは、2004年8月。2度目の落馬事故を起こしたのだ。気づいた時には、病院のベッドの上におり、事故からは1カ月が経っていた。 「もう一度、レースに復帰するぞ」  常石選手には、その思いしかなかった。  だが、リハビリをしても、左半身に麻痺が残り、さらに記憶障害を患っていた常石選手は、レースに復帰することができなかった。そのまま3年が経過した。常石選手の復帰への思いはまったく変わらず、懸命にリハビリを続けていたが、JRAの規定により、2007年2月、引退という道を選択するほかなかった。 「1度目の落馬の時に、医師に『今度落馬したら、復帰は難しいからね』と注意するように言われていたんです。だから、引退は仕方ないなと思っていました。でも、頭では理解していても、なかなか気持ちの整理はつきませんでした」  引退後も常石選手はレースが行なわれる土日になると、自動的に「競馬場に行かなければ」という気持ちに駆られていたという。実は、母親の由美子さんによれば、常石選手は引退後もしばらくは毎朝4時に起床をし、自宅から2時間かけて歩いてトレーニングセンターに行っていたという。 「記憶障害があっても、競馬に関わることについてはすごくよく覚えていて、道順なんかもはっきりと覚えていて驚きました」  結局、気持ちを整理するのに、約1年を要した。取材活動や解説など、競馬関連の仕事をするようになって、ようやく落ち着いたのだという。  しかし、「馬に乗りたい」という気持ちが薄らぐことはなかった。引退後、リハビリのために始めていたマラソンで、少しずつ体が動くようになっていたこともあり、常石選手は2013年に馬術を始めた。すると、奇しくもその年の9月に決定したのが、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催だった。  決定のニュースをテレビで見ていた常石選手は、母親にこう言った。 「これに僕、出なくちゃ」  眠っていた勝負師としての血が再び騒ぎ始めていた。
3
不足分をカバーしてくれる馬に感謝
 常石選手が初めて対面した馬に対して、まず最初に行うのは挨拶だ。馬と目を合わせて「よろしく」と微笑む。そして、乗っているうちに不思議とその馬の性格がわかってくるのだという。これこそが、ジョッキー時代の経験が活かされた自分自身の強みだと感じている。  一方、同じ馬を扱う競技とはいえ、「競馬」と「馬術」は似て非なる競技だ。だからこそ、元ジョッキーの常石選手には苦戦していることがある。 「今、僕が一番の課題としているのが『きちんと馬に乗ること』。速さを競う競馬時代は、馬に座らずに常に前傾姿勢だったんです。でも、技の正確性に加えて、美しさも得点の対象となる馬術では馬に姿勢よく座らなければいけません。ところが、ジョッキー時代の癖がすぐに出て、前傾になってしまうんです。コーチにはよく『これは競馬じゃないよ。馬術だよ』と注意されるんですけど、若い頃に身に付けたものはなかなか抜けきらないですね」  常石選手は麻痺の影響で左にUターンする時など、左脚で馬にうまく指示することができない。また、記憶障害があるためにコースを覚えることが難しい。そんなふうにいくつものハードルがある。それでも常石選手は「やめたい」と思ったことは一度もない。 「馬に乗っている時の気持ち良さは、中学3年の時に初めて乗馬を体験した時や、ジョッキー時代と何ら変わっていないんです」  一方で、馬との関係性は変化しているという。 「ジョッキー時代、馬は僕のパートナーでした。『共に』という感じだったんです。でも、今は少し違います。僕をカバーしてくれる存在でもあるなと。例えば演技中、左足が効かなくて、馬にうまく指示が伝わっていない時があるんです。でも、馬が記憶してくれていて、すっと駆け足をしてくれたり、コース通りに進んでくれたりすることがある。そんなふうに僕の至らない部分をカバーしてくれた時は、本当に感動します」  現在は週に4回、トレーニングを積んでいる。そのうち2回は自宅の滋賀県草津市から電車で片道2時間半かけて兵庫県明石市まで通っている。傍からは大変そうに思えるが、常石選手は何の苦労も感じていないという。馬に乗っている時が最も充実した時間だからだ。 「僕の最大のライバルは、僕自身の脳」と語る常石選手。もはや人生においてなくてはならない存在である馬とともに、3年後、パラリンピックの舞台を踏む。彼はその目標に向かって今、日々を送っている。

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