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POINT OF THE GAMES

コレだけは覚えておきたい!観戦ルールブック

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終わりよければすべて良し
「昨日のウェイトトレーニングも、めちゃくちゃキツくて。走る距離も本数も増えて、本当にしんどいですね……」 昨年10月のアジアパラ競技大会、陸上男子100mで金メダルに輝いた井谷俊介選手は、競技に取り組むようになって初めてのシーズンオフを迎えている。 陸上のオフトレーニングは過酷だ。基礎体力の向上、長所短所の強化。目的は違えど、黙々とトレーニングをこなしていく日々。すべては翌シーズンに飛躍するためである。 アジア王者でありながら、競技歴は約1年。それほど、井谷選手の成長は急激なものであった。 2017年11月から本格的に陸上を始めると、18年5月に中国・北京で行われたグランプリシリーズで優勝。6月の関東パラ陸上競技選手権大会では、前アジア王者でアジア記録保持者(当時)の佐藤圭太選手に競り勝った。7月のジャパンパラ陸上競技大会、9月の日本パラ陸上競技選手権大会と2着に甘んじるも、アジアパラでは予選で佐藤選手の保持していたアジア記録(11秒77)を更新する11秒70をマーク。勢いのまま、決勝でも真っ先にフィニッシュラインを跨いだ。 「終わりよければすべて良し。北京で肉離れをして、思うように走れない時期が続きましたが、最後の最後で力を出し切って、シーズンを締めくくることができました」 北京グランプリで右ハムストリングス(太腿裏)の肉離れを起こし、シーズン前半は痛みや違和感と付き合いながら走り続けた井谷選手。アジアパラの前から状態が上向き、大一番で力を爆発させた。 「スタートでのミスもあり、思ったよりも(タイムは)伸びませんでしたが、それまでのレースとの違いは、足を気にせずに走れたことと、リラックスして場の雰囲気を楽しめたということですね。それが、持ち味を思い切りだせた要因だと思います」
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アジア制覇への布石と、垣間見た“世界”の背中
井谷選手にとっての2018年のテーマは、大きく分けて2つあったという。 「1つは、大会の雰囲気や流れを経験するということ。勝負やタイムにこだわらず、好きなようにやる。もう1つは、走り方がまだ荒削りなので、フォームを改善するということです」 指導を仰ぐ、トレーナーの仲田健氏と話し合って立てたテーマだ。リオデジャネイロ五輪4×100mリレー銀メダルメンバーの山縣亮太選手や、女子短距離日本記録保持者の福島千里選手など、多くのトップアスリートを見てきた仲田氏は、井谷選手の快進撃に不可欠な存在である。上下左右のブレが少なく、地を這うようなランニングフォームは、パワーロスを最小限にとどめ、効率的に推進力を生み出すことができる。それは、氏のトレーニングのもとで育まれてきたと言えよう。「足を隠したら、義足を履いているとは分からないと思います。ブレない走りが自分の武器ですね」と井谷選手も自負する。 メンタル面でも仲田氏の存在は大きい。ある一幕がある。7月の関東パラ100mでのことだ。「勝負やタイムにこだわらず」とは言うものの、勝ち気な性格がつい顔をのぞかせた。肉離れが完治していない状況ではあったが、レース前は「負けるのが嫌で、勝ちたい、勝ちたいと言っていた」という。そこに、仲田氏はこう声をかけた。 “突然出てきた選手に誰も期待していない。君が勝つなんて誰も思っていないよ。だから、自分が納得の行く走りをしなさい” その言葉に「吹っ切れた」という井谷選手は、“第一人者”である佐藤選手に先着してみせた。心身を制御する術を身につけることは、アスリートとしての成熟過程と重なる。アジア制覇へと結実していく布石は、こうして一つずつ打たれていったというわけだ。 目下取り組んでいることは、「左右の筋力差を減らすこと」。井谷選手は右足の膝から下が義足の為、普段の生活ではどうしても左足が軸になる。そのため、右大腿部(太もも)の筋肉量が低下しがちだ。現在も「まだまだ筋力に左右差がある状態」だという。これまでも、スタート直後の加速や、義足の反発力を制御する上で、右足の筋力強化の必要性を強く感じてきた。その思いは、11月に東京・渋谷で行われた義足のスプリンターによる60mレースで、海外のトップ選手と相まみえたことで一層強くなった。 「義足側の足で着地する際、体重をかけて義足をたわませるのですが、僕の場合、踏み込んだ時に安定しないんです。反面、一緒に走ったリチャード・ブラウン選手(※)は義足に体重を乗せた時にしっかり止まるので、力を逃がすことなく、義足の反発を推進力に転換できている。コツを聞いたら『ハムストリングスにギュッと力を入れて、(義足を)押しつぶすんだ』と。それを聞いて、僕はまだ筋力不足で義足をコントロールできていないんだな、と感じたんです」 ※リチャード・ブラウン:男子100m、200m(T64クラス)世界記録保持者。米国代表。 リオデジャネイロパラリンピックの決勝進出ラインは11秒26。メダル獲得ラインは11秒03。単純比較はできないが、現在の井谷選手の実力から見れば、それぞれ0.5秒、1秒という差がある。100分の1秒を競う短距離走においては大きな差に見えるが、トップ選手とのレースを経て気持ちの変化も生まれたという。 「今まではタイムだけを見て、届かないかもしれないと感じていましたが、実際に並んで走ることで、見えるところにいるという感覚も抱いたんです。1秒は遠いと諦めるのではなく、狙えば近づける。今ではそう考えています。今年の目標は11月の世界選手権で入賞レベルに到達すること。タイムで言えば11秒1か2、あわよくばフラット(11秒0)。この1年は基礎練習しかしていないので、これからは細部にこだわっていきたい。やることは多いです。競技力が向上するにつれて、プロ意識を持って取り組めるようになってきました」
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短くも濃密な夢の途上
井谷選手を構成するもう1つの要素がある。 モータースポーツだ。 三重県出身の井谷選手にとって、F1日本グランプリの舞台である鈴鹿サーキットは身近な存在。幼い頃から足繁く通い、いつしかカーレースのファンになった。大学時代はアルバイトで資金を稼ぎ、自分のマシンも買った。2016年2月、大学2年生の冬に交通事故で足を失ってからも、レーサーになるという夢は持ち続けている。今は陸上に専念するため「まったく乗っていない」というが、カーレースのことに話が及ぶと、自然と饒舌になる。 「元々はレースの方に軸があって、それが、一時的に自分の生活から離れているのは、実は少し辛くて。だから、今年は時にはレース現場に手伝いに行きたいと思っています。モータースポーツが身近にあれば、それが活力になって、陸上もより頑張れるのではないかな、とも思うんですよね」 前述の仲田氏との出会いも、カーレースが起点になっていたと言っても過言ではない。大学4年生の時、競技活動を継続するためのスポンサーを募る企画書を作った。したためた目標は、陸上でのパラリンピック出場とカーレーサーになること。ある時、レース会場での出会いをきっかけに、レーシングドライバー脇阪寿一氏の知遇を得ると、仲田氏を紹介された。一度カーレースを封印し、陸上へ振り切った。それからの躍進は、上述の通りである。 「事故で義足になったことが自分の人生観が変わるきっかけでした。義足で走った時に感じた風の爽快さ。悩みが消え笑顔になれた瞬間。障がいで苦しまれている方にもあの風を感じてもらいたい。人間、いつ死ぬか分からないのだから、やりたいことにとことんチャレンジしようと。走るのが好きだから陸上をする。その後は、カーレースにチャレンジする。常に挑戦し続ける姿を見せることで、ネガティブになっている人が一歩踏み出せるような存在になりたい。苦しみを希望に変えるきっかけになりたい。それが僕の原動力です」 企画書に書いた2つの目標のうち、片方は現実になりつつある。“試運転”の1年を終え、2020年東京パラリンピックに向けて、徐々にアクセルを踏み込んでいくつもりだ。 大舞台まで残された期間は1年半。井谷選手は今、短くも濃密な夢の途上にある。

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