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ATHLETES' CORE

馬術


人と馬とが一体となり、美しく正確な演技を繰り広げるパラ馬術。その競技に魅了され、2009年、44歳で乗馬を始めたのをきっかけに、パラ馬術の世界に飛び込んだのが、石井直美選手だ。2012年に初めて大会に出場し、2016年の時に「全国障がい者馬術大会」で最も障がいの軽いグレードⅤで優勝したのを皮切りに、注目されている。その石井選手にとって、2020年は“再スタートの年”となった。新たなパートナーとともに、“世界最高峰の大会”を目指す石井選手にインタビューした。
新パートナーとのデビュー戦で越えた“壁”
石井選手には、昨年まで越えられなかったものがあった。“60%の壁”だ。

パラ馬術は、障がいの程度によって5つのクラスに分かれ、石井選手は障がいが最も軽いグレードⅤのクラス。このクラスはほとんど健常者に近い選手で見た目では障害があるとはわからない選手が多い。その中で、片手での騎乗は非常に珍しい。規定課目は3種目あり、個人種目の「インディビジュアルテスト」、3名で構成されたチームで障がいの程度に関係なくクラスオープンで規定課目を行う団体種目の「チームテスト」、個人課目の成績上位者のみが進出し、曲にあわせて自由に演技を行う「フリースタイルテスト」だ。入場から退場までの間、馬は「常歩」(なみあし:最もゆっくりとした歩き方)「速歩」(はやあし:常歩の倍のスピード)「駈歩」(かけあし:最も速いスピード)の3種類の歩法で、円を描いたり、蛇行したり、後退などの運動を行う。それぞれの課目に対して美しさと正確さが、10点満点の減点方式で採点され、その合計の得点率で順位を競う。

これまで何度もグレード別では、優勝を飾ってきた石井選手だが、どうしても点数は50%台にとどまっていた。これでは世界のトップ選手のみが出場できるパラリンピックへの切符どころか、国内でも通用しない。60%を超えることが、最大のミッションとなっていた。

そんななか、ついにその“壁”を打ち破る時が訪れた。2020年11月に馬事公苑で開催された「全日本パラ馬術大会」だ。同大会は、石井選手が新しいパートナー「デフュアステイネルス」とのデビュー戦でもあった。

デフュアステイネルスと初めて会ったのは、昨年夏のこと。これまでグレード別では優勝しているものの、国内での強化指定選手に入っていない。強化指定選手に入り、海外勢に勝つためにはさらに高得点を狙う必要があると考えた石井選手は、昨年から新しいパートナーを探していた。

だが、なかなか良い出会いはなかった。

石井選手が現在練習の拠点としているのは、乗馬クラブ「エバーグリーンホースガーデン」(千葉県)。会員の人を介して馬のオーナーと出会い、ある一頭の馬を試しに乗ってみることになった。初めての騎乗でありながら、指示に対して従順に、なおかつ美しい動作をする馬で、馬自身の高い才能を感じた。

「この馬と一緒に、東京パラリンピックを目指したい」

ようやく出会うことができたパートナー。それが、デフュアステイネルスだった。

「馬はとても繊細な動物で、性格や走り方も一頭一頭まったく違うので、自分との“相性”はとても大事です。デフュアステイネルスは乗ってすぐに相性の良さを感じました。能力も高くて、素晴らしい調教を受けている馬であり、私の合図にも正確に従ってくれたのです。これは、貴重な馬だと思いました。私との相性の良さは、周囲の人にも伝わっていたのだと思います。オーナーさんからも“この馬でやってみますか?”と、ペアを組む許可をいただくことができました」

その新パートナーとのデビュー戦となった全日本大会、石井選手は初日のチームテストで62.830%、2日目にはインディビジュアルテストでも61.429%をマーク。昨年まで越えられなかった“60%”の壁を初めて打ち破ってみせた。

「デフュアステイネルスが持っている能力を考えれば、もっと得点を伸ばすことができたはずで、反省ばかり。決して満足はしていません。ただ、これでようやく東京パラリンピックの出場に向けて、勝負できるスタートラインに立つことができたかなと思います」


44歳でつながったスポーツとの縁
石井選手が初めて乗馬を体験したのは、44歳の時。きっかけは、夫の「障がいがあっても、馬に乗れるらしいよ」という一言だった。それは、何気ない言葉だったかもしれない。たが、その後の石井選手の人生を大きく変えるものとなった。

「子どもの頃から動物が好きで、馬にも乗ってみたいなとは思っていました。でも、右腕に障がいがある自分には無理だと思い込んでいで、馬術はするものではなく、遠くで見るものとしてしか考えていませんでした」

早速、地元の乗馬クラブを訪れて挑戦してみた。もちろん簡単ではなかったが、それでも片手でも乗ることができた。そして、何より楽しいと思えた。

石井選手が事故で右腕に障がいを負ったのは、10歳の時。それからは、授業の体育以外ではスポーツをすることはなかったという。

「日常生活は送れていたものの、それでも他の人に比べたら、何をするにも時間がかかります。なので、自分がどうすればものごとを“普通”にできるのか。スポーツする以前に、私にとって重要だったのは“普通”の生活を送ること“自立”だったのです」

障がい者のビジネス専門学校を卒業後、一般企業に就職をした石井選手は結婚を機に専業主婦となり、子どもの母親として忙しい毎日を送ってきた。パラ馬術の存在を知ったのは、子育てがひと段落した頃のことだった。

「今なら少し自分のことに時間を投資してもいいのかもしれない……」

そんな思いが、自分とは無縁とあきらめていたスポーツの世界へと足を向かわせたのだ。しばらくは趣味として2週間に一度のペースで乗馬を楽しんでいたが、だんだんと沸き上がってきたのは「何か目標に向かって挑戦してみたい」という思いだった。乗馬を始めて2年目の2012年、初めて全国障害者馬術大会に出場を機に、競技者としての人生をスタートさせた。


信頼関係を深め“人馬一体”に
今年の全日本で、60%台の得点をマークした石井選手だが、試合後の彼女はまったく浮き足だっていなかった。それどころか、第一声は反省の言葉だった。

「デフュアステイネルスは苦手な演技もなく、何でも器用にできてしまう天才。しかも技術だけでなく、試合前も平常心でいられるメンタルの持ち主。まさに“スーパー・ホース”です。そのデフュアステイネルスとなら、もっと得点を伸ばせたはずです。私自身が練習をして、どこまでレベルアップできるか、すべては、今後の自分にかかっています」

実は、今回の全日本で狙っていたのは65%。それには遠く及ばない結果に、石井選手は、反省しきりだ。たとえば、初日のチームテストでは、“駈歩”と規定されていたところを“速歩”となり、大きく減点された。

「“駈歩”の時は、私が足を引いて馬に合図を送るのですが、その引きが足りなかった。そのためにデフュアステイネルスは、“この合図は 駈歩ではなく速歩ですね”と思ってしまったのです。繊細な馬だからこそ、ほんのわずかなミスでも誤った指示が伝わってしまいます。自分自身のミスさえなければ、65%をマークすることもそう難しくはなかったはず。そう考えると、デフュアステイネルスに申し訳なかったなと。私自身の練習がもっと必要です」

今、大きな課題として練習に力を入れているのが、思い切って乗ることだ。馬術では、運動種目ごとに、「正確さ」「ペース」「活発さ」「調和」の4つの観点から採点される。そのうちの「活発さ」を見せるためには、それだけの思い切った指示を出すことが必要だ。しかし、馬が活発に動けば動くほど、「振り落とされるのではないか」「スピードを出しすぎて抑えられなくなったらどうしよう」という不安が出てくる。その恐怖心で体がすくみ、思い切った指示を出すことができない。

以前と比べれば、思い切った指示が出せるようになり、評価も高くなっている。だが、さらに活発さの部分が発揮されれば、さらにスコアは伸びると踏んでいる。恐怖心を払拭するには、やはり馬と深い信頼関係を築くことだ。まさに“人馬一体”である。

“スーパー・ホース”のデフュアステイネルスと石井選手とが“人馬一体”となった時、果たしてどんな演技が披露されるのか。美しく勇ましいパフォーマンスで観客を魅了する“その日”が待ち遠しい。

石井 直美(いしい なおみ)

パラ馬術/株式会社サンセイランディック
1964年12月24日、東京都生まれ。
10歳の時、事故で右腕の上腕を欠損。
それ以降は、スポーツとは無縁の生活を送っていた。
子育てがひと段落した44歳の時に趣味で乗馬を始め、
2012年からは競技としてパラ馬術の大会に出場するようになる。
2018年、19年の「CPEDI GOTEMBA」でグレード別で優勝するなど、
東京都の「東京アスリート」に認定、日本障がい者乗馬協会の育成選手に選ばれている。
 
取材・撮影:越智 貴雄、SPORTRAIT編集部  取材・文:斎藤 寿子