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ATHLETES' CORE

陸上(ブラインドマラソン)


パラリンピック銀メダル、ワールドカップ連覇、そして2度の世界記録更新。“ブラインドマラソンの女王”道下美里選手の強みは、フルマラソンの最終盤まで持続する強靭なスタミナだけではない。ネガティブをポジティブに変換する柔軟さと、気心の知れた仲間の存在が、苦しい中でも歩を進める助力となってきた。「東京パラリンピック金メダル」に向けた追い込みに入ろうとした矢先に告げられた大会の延期。レースなき日々を過ごす道下選手の強さの源泉を聞いた。
世界記録までの“ちょっとずつ”
レースの前に、歌を唄う。

道下美里選手のルーティンのひとつだという。2020年2月2日、2時間54分22秒の世界記録をマークした「別府大分毎日マラソン」(以下、別大マラソン)の時もそうだった。

「スタート地点に向かう間、ガイドと2人で、ゆずの『栄光の架橋』を口ずさんでいました。最後は盛り上がって、手を挙げながら『え・い・こ・う・のー!』と唄ってましたね(笑)」

ブラインドマラソンでは、ガイドランナー(伴走者)と呼ばれる目の見えるランナーが選手と並走する。小さなロープで手先をつなぎ、選手の“目”の代わりとなるのだ。また、2人のガイドが認められており、特定の地点で交代することが可能だ。

別大マラソンのレース運びは“横綱相撲”だった。青山由佳さんがガイドを務めた前半は、息を潜めるように淡々と、しかし確実にスプリットを刻んだ。20キロ地点でガイドが志田淳さんに交代すると、25kmを過ぎて向かい風に苦しめられながらも、ペースを押し上げていく。レース後の会見で、志田さんが「まったく不安を感じさせなかった」と評する圧巻の快走で、2017年12月に自身がマークした世界記録を1分52秒更新した。

144センチの小柄な身体に蓄えた豊富なスタミナを武器に、終盤までじりじりと押し続け、走り抜く。タフネスを身上とし、リオパラリンピック銀メダル、ワールドカップ連覇(2017年、2018年)をはじめ、これまで数々の栄光を勝ち取ってきた。

終盤の底力は、ストイックなトレーニングスタイルに裏打ちされている。強化合宿では、前半に苦しくても後半に必ずペースを上げる。ポイント練習で身体を追い込んだ翌日は、敢えて起伏のあるコースを選んでジョギングをする……。普段のトレーニングを通して身体に染みついた意識が、レーススタイルにも現れているというわけだ。

「シンプルに言うと負けず嫌い。ジョッグの時も他の選手が終わったことを確認してから、誰よりも多く走って帰ってくるとか、少しでも周りと差をつけるように意識しています」

道下選手の負けん気は周囲の人々によって育まれてきた。26歳で盲学校に入学後に走る楽しさに目覚め、ダイエット目的で走り始めた。次第に陸上競技にのめりこむ中で、競技をサポートする仲間たちは、道下選手に発破をかけ続けた。

「逃げるな!」
「日本記録まであと1分だ」
「サブスリー(3時間切り)いけるぞ!」

「最初から世界一になろうと言われてきたわけじゃないんです。でも、ちょっと手を伸ばせば叶う目標を常に仲間が与えてくれた。その“ちょっとずつ”が、今の私につながっていると思います」


心のもやを晴らした仲間の支え
2017年12月と、2020年2月。2度の世界記録更新に挟まれたこの2年余りは、道下選手にとって不振との闘いでもあった。

東京パラリンピックでの戴冠を視野に入れ、トレーニングの量と質を上げてきた。だが、結果が付いてこない。

2018年12月の「防府読売マラソン」では、前年に続く世界記録を狙うも、冷雨の中で失速。やっとの思いでゴールした。2019年4月にロンドンで開催された世界選手権を制し、東京パラリンピック代表に内定したが、「精神的に苦しいままだった」と振り返る。同年12月のレースでは終盤に失速し、自らの記録にまたも跳ね返された。

「本番でタイムを出すのが得意だと思っていた」と道下選手は言う。

記録を出す練習は積めているのに、目標に及ばない。初めて経験する身体感覚と結果のズレに、焦りを感じるようになっていった。リオでメダリストとなり、世界記録も打ち立てたことで、当然のように「東京での頂点」を期待される。意識から拭おうとしても、重圧がじわじわと頭をもたげてくる。

「練習中にプレッシャーで突然トイレに行きたくなってしまったり、普段の生活で時間に遅れるとか、初歩的なミスですごく自分を責めたり。心のバランスが悪くなって、どう乗り越えたらいいのかわからない状態でした」

支えになったのは、青山さんや志田さんら、ガイドや練習パートナーを務める「チーム道下」のメンバーだった。「同情」よりも「共感」。一心同体でレースを展開するかの如く、道下選手の悩みを共有し、心にたまった澱(おり)を少しずつ取り除いていった。

「レース前に、『ペースは私たちがつくる。みっちゃんは何も考えず、走ることだけに集中すればいい』と。選手は私なので、本当は良くないことかもしれません。けれど、自信を失っていた私の心を、少しでも軽くしようとしてくれていたのだと思います」

メディアを通して見る道下選手は、いつも笑顔でポジティブだ。周囲からそう言われることも増えたという。ただ、道下選手は苦笑しながら言う。

「長く付き合っている人は、私が超ネガティブになるところも知っていて、落ち込むとチーム内ですぐに共有されるんです。私が変わると、わかりやすいみたいで(笑)。すると、メンバーが『ご飯食べにいこう』って突然連絡をくれたりする。そんな仲間がいるから、元気で明るくいられるのかな、と」

20代から70代までのランナーが集う「チーム道下」。その輪の中で自身を立て直す過程で、別大マラソンでの世界記録に通ずるヒントも得た。

「大会前に伴走で付き合ってくれた男の子が、『マラソンの序盤では、失敗するかもしれない、と思って走っています』と言うんです。中盤以降にエンジンがかかってから気持ちを切り替えるんだ、と。それを聞いて、別大のレースプランを決めました」

道下選手の“弱さ”は“強さ”でもある。“ネガティブな自分”に出会い、心が揺らいでも、周囲に頼り、今必要なことを吸収していく強さだ。

序盤に温存した馬力を後半で解放する。向かい風を突き、世界記録をたぐりよせた別大マラソン終盤の加速は、こうして生まれたものだった。


レースなき日々。途切れぬ自己革新
2020年3月24日。東京パラリンピック延期の報はニュースで知った。世界記録樹立からひと月あまり。もう一段、走力に磨きをかけようとする矢先のことだった。突如引き延ばされた道のりを前に考え込み、一時、熱が出てしまったという。

「あと1年か……というのが正直な気持ちでした。今はどうにもならないことは意識せず、自分軸に切り替えて、過去の自分を超えることに集中しています」

感染症対策のため、練習環境も変化した。伴走者の人数を普段よりも減らし、時間を早めたり、山間部など人が少ない場所を選んだりした。「チーム道下」の仲間の送迎で移動し、夜明けとともに走り始めることもあった。

「みっちゃんがやりたいようにやればいい」――。仲間の言葉と知恵の後押しでトレーニングを継続し、7月の北海道合宿では、五千メートルのタイムトライアルで自己記録を約30秒更新してみせた。

自分自身と向き合う時間が増えたことで、新しい習慣も生まれた。「筋肉痛」「ストレス」「疲労感」「睡眠時間」の4つの指標を7段階で日々評価し、パフォーマンスとの関連性を自己分析するようになったという。雲をつかむようだった不調との対峙も、パターン化して対処できるようになってきた。精神的な苦境を耐え抜いたこの2年間の経験が導いた知恵だ。

レースはない。だが進化はできる。東京大会の延期で一瞬揺らいだ“自分軸”は、今では彼女の中心にある。

道下選手には、好きな言葉がある。

“耐えるもの必ず志を得る”

29歳で盲学校を卒業後、転職を経て勤めた鍼灸院の院長の言葉だ。戦時中に爆雷で視力を失い、鍼灸師として戦後を生き抜いてきた院長は、道下選手の師の一人だという。

「私の中で、『こういう人になりたい』という存在。先生との出会いは、耐えなくてはならない時でも、自分なりに工夫をして、信念を持って進んでいきたいと思えるきっかけになりました」

マラソンは忍耐の連続である。仲間との対話、自己との対話を繰り返しながら、道下選手は今日も黙々と走り続ける。それは、耐え抜いた先に得られるものを、知っているからに他ならない。

道下美里(みちした みさと)

陸上競技 T12クラス/三井住友海上火災保険所属
1977年1月19日山口県生まれ。膠様滴状角膜ジストロフィーの進行で、中学2年時に右目を失明。
のちに左目も発症し、視力は0.01以下に。26歳で陸上を始め、31歳でマラソンに転向。
2016年のリオパラリンピックでは銀メダルを獲得する。
2017年の防府読売マラソンで世界新記録を樹立。
2019年4月の世界選手権で優勝し、東京パラリンピック日本代表に内定。
2020年2月、別府大分毎日マラソンで2時間54分22秒をマーク。2度目の世界記録を樹立した。
 
 
取材・撮影:越智 貴雄  取材・文:吉田 直人