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ATHLETES' CORE

陸上(短距離)


日本のパラ陸上界にまた一人、新星が現れた。現役大学生の石田駆選手だ。昨年の世界選手権(UAE・ドバイ)では初出場ながら男子400m(T46/T47・上肢機能障がい)で予選を全体3位で突破し、決勝では自己ベストを更新。4位にまで与えられる東京パラリンピックへの切符はわずか0.13秒差で逃したものの、5位入賞を果たし、堂々の世界デビューを果たした。一躍東京パラリンピックのメダル候補に躍り出た石田選手。注目の若きアスリートが追い求めているものとはーー。
400mで開花した才能で全国の舞台へ
陸上競技を始めたのは、中学1年の時。当初から400mが得意だったが、実は「できれば、きつい400mはやりたくはなかった」という。転機となったのは、中学2年の時だった。中学1年の夏、初めて出場した市内の試合で優勝すると、その後も順調にタイムを伸ばし、1年から2年にかけて約6秒も自己ベストを更新した。この時、400mに専念しようと決意した。

「2年で54秒台を出した時に、必ず来年は当時の全中(全国中学生陸上競技大会)の参加標準記録(51秒70)を切れると確信しました。練習はきつくて苦しかったのですが、タイムを伸ばせることが嬉しかったですし、少しずつ自分は400mで勝負するんだと覚悟していった感じでしたね」

実際、中学3年時には自己ベストを51秒52にまで伸ばし、岐阜県内では400mのトップランナーに。そして県大会、東海地区大会と勝ち抜き、全中出場を果たした。全国の舞台では予選突破とはならなかったが、彼の走りに将来性を感じた人物からスカウトの声がかかった。岐阜聖徳高校陸上競技部顧問の高木伸吾先生だ。

石田選手に感じた能力の高さについて、高木先生はこう語る。

「初めて見たのは、彼が中学3年の夏。スタンドから見ていて、400mに適した能力がある選手だなと感じました。400mのような距離だと、どうしても前半は力をセーブして走ってしまう選手が多いのですが、彼はスタートから力を温存することなく、さらに最後までスピードが落ちない粘り強さがありました」

高木先生からスカウトされた石田選手は、迷うことなく岐阜聖徳高校に進学。恩師の下、高校3年間で身につけた力は、現在の走りにも深くつながっている。中学時代、石田選手が最も意識していたのは、上半身をリラックスさせることにあった。力みのないしなやかな腕の振りは、その時に身につけたものだ。その反面、下半身には大きな課題があった。高木先生はこう説明する。

「地面から返ってくる力を効率よく受けながら走らないと、どれだけ頑張って体を動かしても推進力にはつながっていかないんです。特に400mという長い距離では、体力を消耗するだけで終わってしまう。大事なのは地面と唯一接触する足の裏で、しっかりと地面をキャッチすること。そこでアップの時にはシューズを履かずに裸足で軟らかいマットの上で動いたりと、足の裏の感覚を大事にする練習を重ねました」

しかし、接地の技術を身につけることはそう簡単なことではなかった。1年時では記録が出ず、試合も県大会止まりに終わった。それでも「1年の内は記録が出なくても、続けていけばきっと掴めるようになるからな」という高木先生からの言葉を信じ、まじめに練習に取り組んだ。その結果、1年の冬になるとようやく地面を掴む感覚を覚え始め、2年時からは少しずつタイムが伸び始めていった。

そして3年時には県大会で3位、東海大会の準決勝では自己ベスト48秒68をマークして決勝でも5位入賞し、目標だったインターハイ(全国高等学校総合体育大会)への切符を獲得した。全国の舞台では、またも予選落ちという結果だったが、石田選手には爽快感と達成感しかなかった。

「ゴールした時、3年間よく頑張ったなぁという思いがこみあげてきました。予選は苦手な雨の中でも、まずまずの走りができましたし、この全国の舞台にたどり着いた自分を少しほめてあげてもいいかな、と思えたんです」


1年で駆け抜けた国内&世界デビューレース
大学進学後も、石田選手は陸上を続けた。大学での目標は、もちろんインカレ(全日本学生選手権)出場。全国の舞台を競技人生のフィナーレの場とするつもりで練習に取り組んだ。

ところが、入学して間もなくして左腕に違和感が出てきた。骨肉腫と診断されたのは、6月だった。再発するリスクを低くするため、切断手術することも少なくないなか、幸いにも腫瘍の除去手術だけで済んだ。陸上を続けるために人工関節を入れ、手術後しばらくしてリハビリが始まった。

しかし医師からは当初、「左腕の可動域はほとんど戻らない」と宣告されていた。それでも毎日リハビリを続けていくうちに少しずつ可動域が広がり、医師からも「奇跡だ」と言われるほどの回復を見せた。

練習を再開したのは、手術をして半年後の12月。まずは軽いジョギング程度しかできず、体力や筋力の衰えを感じた。しかし、こみ上げてきたのは走ることのできる喜びだった。そして何よりうれしかったのは “感覚”が残っていたことだった。

「自分の足の裏で地面をつかむ感覚がはっきりと感じられました。『よし、ちゃんと走る基礎は残っている。接地の感覚は死んではいない。きっと来年には50秒を切る走りを取り戻し、4年間のうちに必ずインカレ出場の目標をかなえるぞ』とモチベーションが高まりました。高校時代、高木先生に指導していただいたおかげで身につけていた下半身の技術があったからこそ、スムーズに再スタートを切ることができました」

そして、インカレのほかに新たな目標が生まれた。パラリンピックという舞台だ。初めてパラ陸上の大会を訪れたのは、退院して間もない頃の2018年9月。しかし、その時は特に気持ちを動かされることはなかったという。当時はまだ手術後の自分自身を受け入れることができず、“障がい”という名の付くものに触れることが嫌でたまらなかった。

しかし、その後もさまざまな人からパラ陸上への誘いの声がかかり、選手たちから話を聞くうちに、少しずつ興味を抱くようになった。“障がい”の有無にこだわることよりも、パラ陸上は選手として一つの挑戦の場だというふうにとらえたのだ。

そして2019年、パラ陸上界で鮮烈なデビューを飾った。6月の日本選手権では400mで優勝すると、翌7月のジャパンパラ競技大会では100m、400mで日本新での二冠を達成。初レースからわずか2カ月で、世界選手権への切符獲得という快挙を成し遂げた。

迎えた11月の世界選手権。最初のレースとなった400m予選のスタートラインに立った時、石田選手は「まさか自分が世界の舞台に立つなんて……」と不思議な感じがしていた。それでも前夜はしっかりと寝ることができたと言い、予選2組目で3着でゴール。全体でも3位で通過し、決勝進出を果たした。

翌日の決勝、「4位以内に入って東京パラリンピックの切符をつかむ」ことを意識していた石田選手は、これまでに感じたことのない大きなプレッシャーを抱えていたという。しかし、力みのないしなやかな走りで前半から飛ばしていった。それは見ている者に心地よさを感じさせるほどの勢いがあった。

最後のカーブを回り、残り100mの時点で5番目の位置に付けていた。しかし、残り60mでスタミナは限界に達し、思うように脚が動かなくなっていた。それでも最後まで粘りを見せて一人を交わし、4番目に上がった。と同時に、隣のレーンの選手に並ばれてしまう。その瞬間、「やばい」と思った石田選手は最後の力を振り絞って走った。しかし、ゴール直前に振り切られて5位。わずか0.13秒差で東京パラリンピックへの切符を逃した。


インカレの後にも続く将来の夢
あれから1年が過ぎた今、石田選手は初めての国際大会をこう振り返る。

「電光掲示板に結果が映し出されて5位と知った瞬間は、一番悔しい順位に終わってしまったなと残念な気持ちになりました。でも冷静に考えると、本格的に競技に復帰して1年も経っていない中、まずまずの走りができたんじゃないかなって。300mまではプラン通りで、ほぼ完璧でしたから。最後は体力勝負で負けたことに関して課題は残ったけれど、自己ベストでもありましたし、力はすべて発揮できたと思います」

東京パラリンピックへのトビラは、まだ閉ざされてはいない。東京パラリンピック出場資格ランキング(2019年4月1日~2021年4月1日)で6位以内に入れば、切符を獲得することができる。2020年12月21日現在、5位に付けている石田選手は射程圏内と言っても過言ではない。

しかし、目標はパラリンピックに出場することではない。世界最高峰の大会で金メダルを獲得することにある。それが、大学入学時に掲げた目標への大きなステップとなるからだ。

現在、世界ランキング1位の選手のタイムは、47秒87。このタイムを上回ることができれば、金メダル獲得の可能性は高い。と同時に、インカレの標準記録A(47秒00)クリアが現実味を帯びてくるのだ。

今も変わらずインカレ出場に強いこだわりを持つ理由を、石田選手はこう語る。

「インカレ出場を目指して大学に進学したので、今もその目標を持ち続けています。パラ陸上の選手がインカレに出場するのは奇跡に近いことかもしれません。でも、僕はその奇跡を起こしたい。そして、納得したうえで卒業したいと思っています」

そうして気持ちよく次のスタートラインに立つつもりだ。それは中学生の時以来、初めてできた大きな将来の目標でもある。

「陸上を始めたばかりの頃は、“いつかは国体や日本選手権に出たいな”と漠然と夢を思い描いていました。いつのまにか諦めていたのですが、パラ陸上という世界に出合えたことがきっかけで、大学卒業後も陸上競技を続けていく可能性が出てきました。それは“いつかは国体や日本選手権に出られるくらいまでの選手になりたい”という大きな夢を追うチャンスでもあると思っています」

走る環境がある限り、たとえ奇跡と言われても、“夢”というゴールに向かって駆け続けていくつもりだ。


石田 駆(いしだ かける)

陸上競技T46クラス/愛知学院大学
1999年4月6日、岐阜県生まれ。
中学1年から陸上競技を始め、400mで才能を発揮。
中学3年時に全国中学生陸上競技大会、高校3年時にインターハイに出場した実績を持つ。
愛知学院大学に入学した2018年、左の上腕に骨肉腫を発症し、
筋肉除去、人工関節を入れる手術を受ける。
2019年6月に日本パラ陸上選手権400mで優勝。
翌7月のジャパンパラ競技大会では100m、400mで日本新での二冠を達成した。
初めての国際大会となった同年11月の世界選手権では400mで5位入賞を果たす。
 
取材・撮影:越智 貴雄  取材・文:斎藤 寿子