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ATHLETES' CORE

パラテコンドー


 東京2020パラリンピックで初めてパラリンピックの正式競技になったテコンドーは、パラリンピックで唯一、ダイレクトに攻撃を加えるフルコンタクトが許されるタフな競技だ。自国開催でナンバーワンを狙う太田渉子選手は元スキーヤー。16歳のときに2006年トリノパラリンピックに出場し、バイアスロンで銅メダルを獲得すると、2010年バンクーバーパラリンピックではクロスカントリーで銀メダルに輝いた。その彼女がスキーとは全く違う競技に転向したのはなぜなのか、太田選手にお話を伺った。
初めて目の当たりにしたときの衝撃
長い黒髪に白い道着がよく似合う。凛とした佇まいはまるで、長年キャリアを積んだ武道家のようだ。
3大会連続で冬季パラリンピックに出場し、2014年ソチパラリンピックを最後にスキー競技を引退した太田渉子選手は翌2015年にテコンドーと出合った。

「東京都が主宰するパラスポーツ次世代選手発掘プログラムのトークイベントに元スキー選手として出演したのがきっかけでした。一緒に登壇していたパラ柔道の初瀬勇輔さん(北京2008パラリンピック日本代表/視覚障害クラス)と雑談中に『パラテコンドーという競技があるよ』と聞いたんです」

 現役選手を引退後はスキーにとどまらず、パラスポーツ全般の普及活動に力を入れていた太田選手はそのとき、東京2020パラリンピックで正式競技になったテコンドーに日本の女子選手が少ないと聞いて気がかりだったという。
 なぜならば、自身がかつてパラリンピックに出場するたび、現地の観客やボランティアスタッフのサポートを受けたことに大きな感謝があったからだ。

「海外から東京にやって来る選手や観客、ボランティアの方々を今度は自分がもてなしたいという気持ちがありました。それには大会の盛り上がりと日本の皆さんの応援が必要ですが、日本人選手があまり出ない競技はなかなか見てもらえないので、テコンドーでも日本の女子選手を増やせないかと思いました」

競技の現状を正確に把握しようと、さっそくジュニアチームの強化合宿があると聞いて見学を申し出た。そこで初めてテコンドーという競技を目の当たりにして衝撃を受けた。
「足技がすごくきれいで見惚れました。また、身ひとつで戦う真剣勝負にも魅せられて、この競技はたくさんの人に見てもらわないともったいないと思いました。そのためにまずは自分が体験してテコンドーの面白さを伝えようと考えたのです」

 これを機に趣味としてテコンドーを始めた太田選手は月1回程度のペースで道場に通い汗を流すようになった。スキーを辞めてから運動不足だったため、「体を動かすのって、やっぱり楽しいな」と思ったそうだ。それが「今は選手としてどっぷりハマっています」と笑う。



公式戦初出場で優勝し競技の道へ
競技としてテコンドーに取り組んだきっかけは、2018年1月に開かれた全日本選手権にエントリーを勧められたことだった。初めてパラの部が開かれたタイミングで、師範の小池隆仁氏や、親しくなった岡本依子氏(2000年シドニーオリンピック銅メダリスト)らに背中を押され、58kg超級に出場した。そこで太田選手は公式戦に初出場にし、優勝してまったのだ。

「同じ階級に出場した選手は、私を含めて2人だけだったんですけど」と本人は謙遜するが、翌2019年2月の世界選手権トルコ大会では準々決勝で世界ランキング1位のエイミー・トゥールデール選手(イギリス)と対戦し、初勝利を奪って銅メダルを獲得した。

「それまではほとんど相手の反則でポイントを取っていたのが、自分から攻撃に出て初めて得点できました。世界ランキング1位の選手に勝てたことも嬉しかったけど、その後に繋がる大きな自信になりました」と当時の成長を振り返る。

 持久系のスキーと瞬発系のテコンドーでは、全く違うように見えるが、「共通点は結構あります。例えば最後まで戦える基礎体力と持久力がそうですし、雪上で培ったバランス感覚と脚力はテコンドーにも活きています」と太田選手は言う。
 
パラテコンドーの試合は2分間×3ラウンドで行われ、その間に決まった技のポイント数を競う。パラテコンドーは頭部への攻撃が禁止されており、ポイントになる攻撃は胴体への蹴り技のみで、胴に蹴りが入ると電子防具が反応し1ポイントが加算される。回し蹴りの場合は技の種類に応じて2〜3ポイントを獲得できる仕組みだ。
 だが単純に足技を繰り出せば良いわけではない。至近距離で相手の攻撃をかわしながら間合いを詰め、スピーディーに自分の技を決めなくてはならないのだ。その鍵を握るのは「戦術」だと太田選手は言う。

「強い選手は相手を自分の動かしたい方向に動かし、意図したパターンに持ち込むことができます。例えば、相手の足先がどっちを向いているかを見て次の動きを予測できるんですね。また、彼女たちは相手に速い蹴りを入れた後にフッと力を抜いて攻撃が終わったと見せかけ、相手が油断したところにもう一撃、素早い蹴りを入れるみたいなフェイントも上手いです」

 トップクラスの選手たちの巧みな戦術に太田選手も何度打ちのめされたかわからない。しかし、敗戦の経験を積んだからこそ自身もまた、攻撃の緩急や相手との距離感などを学ぶことができ、戦術の幅を広げられたという
「覚えるのは難しいですけど、戦術の引き出しが増えると試合がどんどん面白くなります。」と太田選手。
観戦する場合も派手な蹴り技はわかりやすい見どころとなるが、選手間で行われている駆け引きこそ、テコンドーの奥深さがあると言えるだろう。


挑戦への一歩を踏み出すきっかけになりたい
 太田選手は2020年1月、テコンドー女子で最初に東京2020パラリンピックの日本代表に内定した。大会は1年延期されたが、本格的に競技を始めてまだ2年とキャリアの浅かった太田選手にとっては、かえってじっくり課題の克服と強化に取り組む猶予になったという。
 なかでも一番の課題は体格差のある外国人選手への対策だった。
女子最重量の58kg超級には身長180cmを超える外国人選手がいて、身長164cmの太田選手とは足の長さや腕のリーチが違う。そのため「勝っていくには相手の懐に飛び込んでいって、相手の近場で勝負するしか得点の方法はない」と太田選手。

「相手の蹴るタイミングをずらし、こちらが懐に入っていけるようなフェイントやステップなど、改めて基礎から練習を繰り返しやりました。また、2年ぐらい前から左手にトレーニング用の義手を着けてウエイトトレーニングをしていているんですが、その効果が出てきて以前よりも左腕がたくましくなり、ガードの際に盾のような役割をしてくれています」

 加えて、一打で3ポイントを獲得できる「後ろ回し蹴り」の精度も向上し、試合で使えるレベルに達し て「一段高いレベルで戦えるようになった」とも。
こうした自身の成長ぶりを楽しそうに話す彼女には、実績のあるスキー競技を引退後、別の競技でまた一から実績を積み上げていくことへの不安や気負いは見当たらない。

「それはないんですよ。そのせいか、試合で緊張することもありません。16歳のときスキーで初めて出たパラリンピックなんて緊張しすぎて、どうやってスタートしたかも、どうやってコースを滑ったかもあまり覚えていないのに。やはり経験の数なのかもしれません」

20代後半になってテコンドーにチャレンジにした自身の決断についてはこう語る。

「よく聞かれますが年齢のことは気にしていません。高校2年生から4年間、フィンランドにスキー留学したとき、日本で言うナショナルトレーニングセンターのような施設で寮生活とトレーニングをしていたんですが、そこで働きながらスキーをやっていた人が、ある日、仕事も競技も休んで海外の大学に勉強に行ってしまったんです。日本ではなかなか考えられない方向転換でもフィンランドでは特別なことではないそうで、大人になっても勉強できるんだ、新しいことに挑戦できるんだって衝撃を受けました」

 多感な時期に出合った新たな価値観。それ以前に彼女の両親の子育てもまた、彼女のチャレンジ精神のベースになり、障がいがありながらチャレンジを厭わない太田選手を育んだ。
先天的に左指が無い太田選手の父母は、「出来ないことを出来ないままで終わらせず、どうしたら出来るかを一緒に考えてくれました。例えば小学生の頃は右手だけで吹けるリコーダーを特注で作ってくれて、音楽の授業に支障がないようにしてくれたり、水泳やピアノなどの習い事なども他の子たちと一緒 にさせてくれました」と言う。

そうした日常の成功体験を積み重ねてきた彼女が初めて挑む夏のパラリンピック。ゼロから始めたテコンドーで見せたい姿が、「挑戦に年齢や障がいは関係ない」ということだ。

「ゼロから始めたテコンドーでナンバーワンになりたいです。障がい害のある方や年齢にとらわれて挑戦を迷っている女性たちが、そういう私の姿を見て新たな一歩を踏み出せるきっかけになればいいなと思っています」


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太田 渉子(おおた しょうこ)

パラテコンドー/ソフトバンク所属
1989年7月27日、山形県尾花沢市生まれ。
左手全指欠損小学3年生のとき地域のスキークラブに入り、
中学生時には日本障害者スキー連盟の強化選手に。
冬季パラリンピックに3大会連続出場。
2006年トリノ大会バイアスロンで銅メダル。
2010年バンクーバー大会クロスカントリーで銀メダル。
2014年ソチ大会で日本選手団旗手を務めた後、スキー競技を引退。
2018年にテコンドー選手として現役復帰。
2019年世界選手権3位。
2020年東京パラリンピックではナンバーワンを目指し金メダルを狙う。
 
 
取材・撮影:越智 貴雄  取材・文:高樹 ミナ