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陸上(短距離/走幅跳) 髙桑 早生

「納得」できるまで

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「納得」できるまで

2020年、陸上競技人生における“最高の瞬間”を迎えるべく、髙桑早生選手は昨シーズン、新たな覚悟を決めた。走り幅跳びへの本格始動である。

これまで100m、200mの短距離をメインとしてきた髙桑選手だが、
実は世界ランキングで言えば、パラリンピックでメダルに最も近いのは走り幅跳びだ。
2015年世界選手権では、銅メダルを獲得。2017シーズンの世界ランキングでは4位、そして2018シーズンも5位と上位につけている。

しかし、これまで彼女の中では走り幅跳びへの気持ちが高まることはなかった。
「あくまでも自分はスプリンター」というプライドがあったからだ。

もちろん、そのプライドを捨てたわけではない。だが、昨年から走り幅跳びにも本格的に取り組む決意をした。そこには、さまざまな葛藤の末に納得して出した“答え”があった。

「今までは、どうしてもスプリンターであることにこだわりたい気持ちが強くて、走り幅跳びに強い気持ちが持てませんでした。でも、冷静に考えて、今の段階でメダルに近いのは走り幅跳びであることは事実。そんな大きな可能性があるにもかかわらず、自分のこだわりだけを貫くのは違うんじゃないかと思ったんです。そしてそれは逃げでしかないし、あとで後悔することにもなるんじゃないかって。だから、走り幅跳びにも本気で挑戦していこうと思いました」

スプリンターとしての誇りを胸に、ロングジャンパーとしても実力を磨く――。
「一つにこだわることに意地になるのではなく、そんな2つを追うスタイルでもいいのかもしれない」

髙桑選手がそんなふうに納得することができたのは、ある人からのこんな言葉があったからだ。
「走り幅跳びに取り組むからといって、スプリントの練習をしなくなるわけではないだろう?」

「そっか……」
その瞬間、髙桑選手の中の固く閉じられた扉が開かれた。

走り幅跳びで最も重要な要素の一つが、助走だ。リオ銀メダリストのロングジャンパー山本篤は、ふだんの練習では短距離走のみで、跳躍の練習はほとんどしないほどだ。

つまり、走り幅跳びの練習に、短距離走のメニューは欠かすことができないのだ。
これなら十分に“スプリンター”と“ロングジャンパー”の二足のわらじは成立する。
実際、世界では両種目でメダルを獲得している選手もいる。

「2020年は、20代最後のパラリンピック。そこを競技人生のピークにするつもりです」
そのためにも、走り幅跳びに本格参戦することを決めた。

そんな一大決心をした2018年、最大の目標としてきたのが10月のアジアパラ競技大会(インドネシア・ジャカルタ)だ。結果は、自己ベスト(5m25)に遠く及ばず、最下位。報道陣の前では明るく笑顔でインタビューに応じていた髙桑選手だが、想定外の結果にショックを受けている様子が“笑顔の裏”に見てとれた。

だが、翌日の100mのスタートラインに立つ髙桑選手の表情は、そのショックを引きずってはいなかった。
いつもの集中しきった鋭い目の髙桑選手がそこにはいた。

「結果は結果として受け止めようと、一晩寝て、気持ちを切り替えました」
それが一点の曇りもなく、髙桑選手の“本音”であることは、表情からも声のトーンからも伝わってきた。

考えや気持ちの変化によって、成長してきた髙桑選手。走り幅跳びへの挑戦は、東京でのメダルにつながると信じている。

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「納得」できるまで

「彼女は自分で納得しないことは、絶対にやろうとしない選手。練習ひとつとっても、そう。どうしてそのメニューをやるのか、一つ一つ聞いてくる。でも、ちゃんと納得すると、逆に彼女の方からどんどん求めてくる。そういう“自分”を持っているからこそ、大事な場面でもブレない。だから彼女は本番に強いのだと思います」

髙桑早生選手を指導して7年。
陸上を始めたばかりの高校時代から彼女を知る高野大樹コーチは、そう語る。
その表情には、パラリンピックで2度、ファイナル進出を果たした髙桑選手への“信頼感”がにじんでいる。

そんな高野コーチの“髙桑評”に、彼女自身も納得の様子だ。

「最近、高野コーチは私について“面倒な選手”という言い方をすることがよくあるんです。でも、私にしてみれば、高野コーチがそういうふうに育てたと思っているんですけどね(笑)。ただ、もともとそういうところはあったのかもしれないですね。昔から行動には“納得できる理由”が欲しいと思うタイプでしたから」

そして、一度納得し、興味がわいたものに対しては、力を注ぐのも髙桑選手の性格だ。

「私は、興味のあることにしか集中力を注げないんです。たとえ自分自身のことだったとしても、興味がないことには見向きもしない。でも、一度興味を持ちだすと、のめりこんでしまうんです」

えば、以前は自分の見た目には「まったく興味がなかった」という。

「もちろん、『明るく見られたい』とか『優しいと思われたい』という気持ちはありましたが、いわゆる“手入れ”の部分においては『別にいいかな。面倒だし』と適当にやっていました」

しかし、今は違う。トレーニングに行くだけだから、とメイクをしなかったり、適当な服選びをすることは決してない。

なぜ、見た目に高い意識を持つようになったのか。
その背景には、後輩の存在がある。
髙桑選手は2015年3月に慶應大学を卒業後も、母校の陸上競技場を練習拠点としている。
そのため、大学の陸上部の後輩とも交流する機会が少なくない。
そんななか、自然と湧き上がってきたのは「素敵な先輩だと思われたい」という気持ちだった。

「私自身、大学生の頃には憧れの先輩たちがたくさんいました。その“先輩”という立場で、後輩たちが悩んだり苦しんだりしながら成長する姿を見るようになって、今度は自分が憧れの存在になれたら嬉しいな、と思い始めたんです。そのためにはまず、親しみやすさが大事かなと。近寄りがたい先輩では、憧れてはもらえないですからね。それで身だしなみをきちんとしようと。もちろん内面の部分が一番大切ですが、その内面を表すのはやっぱり見た目。どちらも重要だなと思ったんです」

実際、練習を訪れると、髙桑選手に気兼ねなく話しかけてくる後輩たちの姿を数多く目にする。
学生時代は「ちょっとぶっきらぼうな態度をしていた」という髙桑選手だが、今は近づきやすさ、親しみやすさが前面に出ている。

身だしなみを意識するようになったことで、自分自身にも変化があった。
「あ、自分ってこんなふうになれるんだって思ったら、自分がどんどん好きになってきたんです」

アスリートとして、そして一人の人として、輝きを放つ髙桑選手。
見た目への意識の変化が、心の幅を広げている。

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