前へ前へ、変化し続ける
昨年、20歳になったばかりの瀬立モニカ選手。
歴史が浅い日本のパラカヌー界において、彼女は日本人でパラリンピックの経験を持つ唯一無二の存在だ。
だからこそ、どうすればメダルに到達するのか、その答えを持っている先駆者は、彼女の前にはいない。
それでも、笑顔をたやすことなく、いつも前向きな挑戦者の姿がそこにはある。
「もし、すでにトレーニング方法や技術的なものがある程度確立されていて、『これをやれば、世界で戦える』というものがあれば、ひたすらそれをやるだけでいいですよね。その方がどんなに楽かわかりません。でも、パラカヌーには前例がない分、自分で見つけていくしかない。周囲の方たちの力を借りながら、やはり一番大事なのは自分自身で模索しながら進んでいくことにあると思います」
2016年、リオデジャネイロパラリンピック。
初めて挑んだ「世界最高峰の舞台」で、瀬立選手は決勝に進出し、8位入賞という結果を残した。だが、それは彼女にとって、厳しい洗礼でもあった。
金メダリストとの差は10秒以上、そして7位の選手にも約5秒と大きく離された中での「8位」。
世界との差を、まざまざと見せつけられた。
トレーニングの量や質、知識、精神力、経験……すべてが不足していた。
だが、だからこそ、今後のやり方次第によっては、自分はまだまだ「変われる」とも感じていた。
リオ後は、次々と新しいことに取り組んでいる。
リオ前は週に3日ほどだったトレーニングは、現在週6日にまで増えた。
特に冬の間のオフシーズンには、自らの体を追い込んできた。
現在、最大の課題は、レース後半。
昨年の時点では、トップスピードをキープする距離が、世界のトップ選手とはおよそ50mの差があった。
つまり、ほかの選手よりスタミナ切れが早い。
そこで、持久力の指標である最大酸素摂取量の向上のために、ボート漕ぎ運動によってフィジカルを鍛えることのできる「エルゴ」というトレーニングマシンを使用したメニューなど、自らに過酷なトレーニングを課してきた。
昨年よりもまたひと回り大きく変化した肩周りの筋力は、その結晶にほかならない。
だからこそ、今、世界のトップ選手たちとのレースが待ち遠しくてたまらない。
「こんなにも自信を持ってシーズンを迎えられたのは、初めてのこと。これだけトレーニングを積んできた自分が、どれだけ世界に近づけているのか、すごく楽しみです」
5月のW杯(ハンガリー)では、メダル争いの仲間入りを意味する“1分切り”をついに果たした。
決して「1分を切るつもり」ではなく「1分を切ります」と断言していた瀬立選手。
これもまた、以前にはなかったことで、彼女の変化が見てとれる。
パラカヌーの「道なき道」を進む瀬立選手。だからこそ、彼女は常に新しいことに挑戦し続けている。会うたびに、必ず「変化」「成長」が見てとれる。それこそが彼女の最大の魅力である。
前へ前へ、変化し続ける
「大学生活は最高です!もう楽しくて仕方ありません!」
筑波大学体育専門学群3年の瀬立モニカ選手。
大学入学後、会うたびに彼女から聞かれるのは、「大学、最高です!」という言葉だ。
いかに充実した学生生活を送っているかは、彼女の弾ける笑顔がはっきりと示している。
彼女の周りには、オリンピック競技でメダルを目指す有望な選手が少なくない。
なかにはすでに世界の舞台で優秀な成績をおさめ、トップレベルで活躍している選手もいる。
そんな仲間たちから得られる刺激が、今、彼女の何よりのモチベーションとなり、そして「変化」を後押ししている。
「先日も、自転車競技の同級生がW杯で日本人で初めて連覇を達成したんです。ほんと、すごいですよね。世界で活躍している友人は、みんな本当にストイックに練習している。そういう姿を見ていると、『やっぱり、そうだよね。そこまでするから世界で勝てるんだよね』と、気持ちが引き締まるんです。『自分も負けていられない』という気持ちになります。本当に恵まれた環境にいるなと思います。そんな仲間たちからの刺激のおかげで、ようやく私自身もアスリートになり始めたかな」
練習環境も充実している。
自転車競技の友人には、トレーニングに適したロードを教えてもらい、陸上練習も十分にできている。
また、昨春には大学側の計らいで、構内にはカヌー部のために小さなトレーニングルームが設置された。そこにはカヌー選手が陸上トレーニングで使用する「エルゴ」というマシンが置かれている。平日は早朝からほぼ毎日、その「エルゴ部屋」に通い、トレーニングをしている。また、授業の合間にはウエイトトレーニングを行っている。
実は当初、エルゴを使用するためには、人の手を借りなければならなかった。
体幹を使うことができない彼女は、一人で車いすからエルゴの台に移動することができなかったからだ。
しかし、それでは一人で空いた時間を有効に使うことはできない。
ならばと、週に一度、リハビリのために通っている大学病院の担当医に相談し、自力で車いすからエルゴの台に乗り移れるようになるためのリハビリメニューを取り入れた。
その結果、今では一人でもトレーニングすることができるようになっている。
瀬立選手は言う。
「これまでは『できることをしよう』という考えで、裏を返せば『できないことはできない』ままにしていたんです。でも、それではダメだなと。『できないことをできるようにするためにはどうすればいいんだろう』ということを考えるようになりました。こんなふうに自分のマインドが変わったのも、仲間たちからの刺激が大きいのだと思います」
毎日の練習メニューも、もう人任せではない。
体育専門学群の講義で学ぶ「トレーニング理論」から知識や方法を取り入れ、自分で考えて作っているという。
まるでオセロのように、これまでどちらかというと受動的だった思考が、次々と能動的思考へと変化している。
彼女は今、まさに真のアスリートへと変貌を遂げようとしている。