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車いすラグビー 池 透暢

チーム一丸に導くキャプテンシー

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チーム一丸に導くキャプテンシー

東京パラリンピックで金メダルの有力候補として注目されている車いすラグビー日本代表。そのキャプテンを務めるのが、池透暢選手だ。

池選手がキャプテンに就任したのは、2014年。当時のヘッドコーチから「持っているものを、チームに還元してほしい」と打診を受けた。主力として活躍していたものの、車いすバスケットボールから車いすラグビーへと転向して、まだ1年あまり。本人にとっては、予想外のオファーだった。その場で返事をすることはできず、考える猶予をもらった。

約1週間後、池選手はキャプテンを引き受けることを決断した。

「決断に至るまでに、いろいろな葛藤がありました。まだ競技を始めたばかりの自分には無理だろう、とも思いましたし、次のパラリンピックでメダルを取るためにも、自分がとにかくレベルアップしなければ、という思いも強くありました。でも、苦労も多いかもしれないけれど、キャプテンを務めた自分と、大変だからと断ってやらなかった自分とを比較した時、どちらが成長できているか、“この先の自分”を考えたんです。それで引き受けようと決心しました」

キャプテンに就任して8年。チームの一人ひとりがそれぞれの個性を受け入れ、活かすことで生まれるチームの輪を最も大事にしてきた。試合で個々の実力を遺憾なく発揮するためには、経歴や年齢に関係なく意見を言い合い、目標に向かって全員が同じ方向に走る。そんな“一丸”を感じさせる雰囲気のチームにしたいと考えてきた。そのために「自分のことを正直にさらけ出すことを意識してきた」と語る。

世界の頂点に立った2018年の世界選手権。グループリーグでオーストラリアに52-65と完敗した後、池選手はあえてチームの前で自身が不安に感じていることを吐露し、そしてチームメンバーに問いかけた。

それをきっかけに選手一人ひとりが今感じていること、思っていることを吐き出し、最終的には、次の試合に向けて率直な意見を交わし合うきっかけとなった。正直な気持ちを言い合うことができたチームには“共感”という強い絆が生まれ、大きな力が生まれたのだろう。準決勝ではアメリカ、そして決勝で再戦となったオーストラリアという強豪国を立て続けに撃破し、初優勝を飾った。

もちろんうまくいくことばかりではない。昨年はキャプテンとしていることが苦しく、重いと感じることもあった。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて東京パラリンピックが1年延期となり、開催が危ぶまれるなか、池選手自身が前に進めなくなっていた。

「(東京パラリンピックに向けて)走り続けるためにはエネルギーが必要で、そのエネルギーがたまるまでは前に進めないだろうし、他のことに目を向けることなんてできない。そういう場所で止まっている自分がキャプテンをやっている状況は違うかなと。だから他の人がした方がいいんじゃないかと思ったこともありました」

しかし、エネルギーを回復させ、再び走り始めた池選手。合宿のフィジカルテストではスタミナ、アジリティの両面で過去最高の記録をマーク。本来本番を迎えるはずだった2020年8月の自分を超えてみせた。

「チームで戦うことができなければ、接戦の中での最後の1点には届かない」と池選手は言う。東京パラリンピックでは、キャプテンとして、そしてコート上では司令塔として、チームを牽引していく姿を見せてくれるにちがいない。

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チーム一丸に導くキャプテンシー

池透暢選手は、2018年の世界選手権後にアメリカのクラブチームでプレーし、全米選手権に出場した経験を持つ。この時、単身渡米することを決意したのは“この先の自分”を考えたからだった。

「もともと地元の高知が好きで、海外に行きたいと思ったことはなかった。英語もうまく話せないし、本心ではアメリカ行きは前向きではありませんでした。それでも決心したのは、やっぱり成長したいという気持ちがあったから。練習環境も非常に整っていたし、選手として挑戦すべきだと思ったので、逃げずに行ってみようと思いました」

しかも池選手が選択したのは、前年16位だった2部のチーム、アラバマ州にあるレイクショア・デモリション。他の日本人選手が所属した1部のトップチームとは異なり、チームにパラリンピック経験者や代表選手は不在。しかし新たな環境で、一からチームビルディングをするという、難しい状況だからこそ、チームのレベルアップとともに自分自身にも新たな成長が見いだせるかもしれない。そんな思いが池選手を突き動かした。

“単身渡米”という大きな一歩によって、自分に対する自信が持てるようになったという池選手。

「自分にとってアメリカへの挑戦は大きかったです。パフォーマンス以外の目に見えない部分、チームを勝たせるために必要なことを養うことができたと思っています」

その一つが“許容量”だ。レイクショアのチームメイトの性格や競技に対する考え方はまさに十人十色だった。合流した当初は、試合で劣勢になるとモチベーションが下がり、緩慢なプレーをする選手もいた。一方通行に自分の気持ちを伝えるだけではなく選手に合わせて、言葉やタイミングを変え、時に自分をさらけ出したりして、繰り返し丁寧にコミュニケーションを取った、そしてコートの中では自らのプレーで示し続けた。すると、他人に責任転嫁していた選手が自分のミスを受け止め、諦めが早かった選手が粘りを見せるようになるなどり、徐々にチームに変化が表れ始めた。

そんな中、チームは全米選手権の切符をつかんだ。決勝トーナメントに進出は逃したが、最後の5、6位決定戦は池選手自身も「最高の試合だった」と語るほどチームワークの良さが前面に出た試合だった。

「チームメイトから“池が来て、一緒にプレーしたことでたくさんの学びがあったし、自分の可能性が広がったよ。ナショナルチームに入ること、全米選手権でベストプレーヤー賞を獲るという大きな目標を持ち始めたんだ”という言葉をもらいました。本当に嬉しかった。自分にとっても一人ひとりと向き合うことで成功があるという学びを得ることができた貴重な経験でした」

このアメリカで得た成功体験は、池選手が日本代表チームのキャプテンとして活動する上で糧になっている。

「試合中、一人ひとりの様子を見極めて、声をかけるタイミングやどういう言葉で促すかを自分の中で判断し行動しています。それは対戦相手に対しても同じ、どんな展開にもっていけば勝てるとか、どこでキーポイントとなるタイミングが来るのか、という予測ができるようになりました。人への許容量が増えたことがプレーにも大きくつながっているんです」

東京パラリンピックまであとわずか。キャプテンとして選手として、チームメイト仲間と向き合いながらチーム“一丸”となって最高の“成功”をつかむつもりだ。

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