#AFTER TOKYO2020
車いすバスケ界のスーパースターに独占インタビュー<前編>

#AFTER TOKYO2020 車いすバスケ界のスーパースターに独占インタビュー<前編>

東京2020パラリンピック大会で、9年ぶりに世界最高峰の舞台にカムバックを果たしたのが、車いすバスケットボール男子カナダ代表のパトリック・アンダーソン選手です。そのカナダとの壮絶な戦いを制し、決勝まで勝ち上がった男子日本代表を、車いすバスケ界のレジェンドは、どう感じたのでしょうか。また、コロナ禍で行われた東京大会はどのように映ったのでしょうか。大会が終了してアメリカの家族の元に戻ったアンダーソン選手に、オンラインでインタビューしました。

  1. Toppic 01 TOKYO2020を振り返って

    • アンダーソン選手といえば、カナダ代表のエースとして2000年シドニー大会、04年アテネ大会、12年ロンドン大会と、3度もパラリンピックで金メダルを獲得したスーパースター。“車いすバスケ界のマイケル・ジョーダン”とも呼ばれているレジェンドです。
      12年ロンドン大会後は代表活動から退きましたが、16年リオデジャネイロ大会で12チーム中11位という結果に終わったカナダ代表の力になりたいと、代表復帰を決意。若手育成にも注力し、チームの大黒柱として東京2020パラリンピック大会に臨みました。
      グループリーグでは2勝3敗で4位となり、決勝トーナメント進出を果たしました。しかし、準々決勝でイギリスに敗れ、メダル獲得には至りませんでした。最後の7、8位決定戦でドイツを破ったカナダは7位。それでも2018年世界選手権では16チーム中12位だったことを考えれば、チームは前進したと言えます。

      この結果について「さまざまな気持ちが入り混じっている」というアンダーソン選手。東京2020パラリンピック大会でのカナダ代表の戦いをこう振り返りました。
      「コロナ禍で約2年間一度も試合をすることができなかった中、準々決勝まで進めたことは本当にうれしかった。ただ行ったからには勝ちたかった。しかも準々決勝は3Qまでリードしていただけに悔しかったよ。若い選手にとってメダルを取るか取らないかでは大きく違う。そのメダルが見えるところまで行ったからこそ、最後に悔しさが残る大会となった」

    • 一方で、若手選手にとって東京2020パラリンピック大会での7位という結果は、非常に大きな自信になったともアンダーソン選手は感じています。これまでもアンダーソン選手は若手に自信を持つようにというアドバイスを送ってきました。でも、目に見えるもので証明することはできず、なかなかイメージすることが難しかったと言います。
      しかし、東京2020パラリンピック大会では実際、準々決勝にまで進みました。この経験がもたらす意味は、本当に大きいとアンダーソン選手は語ります。

    • 「あと5%あるいは10%頑張れば、メダルに届く力があるチームだということが、東京パラリンピックでみんな実感できたと思う。たとえば、日本やイギリスとの試合は、3Qまでは勝っていたわけだからね。今後は、あとはもうひと踏ん張りすれば勝てるというふうに、自信を持って次の目標に向けていけると思うよ」
      前回、3年前のインタビューではカナダチームについて「パズルを組み合わせるようにして、少しずつ強くなっていこうとしているところ」と語っていました。東京2020パラリンピック大会で感じられたチームの成長は、どこにあったのでしょうか。
      「東京に向けて、パズルはいい感じではまったなと感じていたよ。特に、若手とベテランとをつなぐキーパーソンでもあるニック(・ゴンシン)が、コート内外ですごくリーダーシップをとってくれたことが大きかったと思う。それとこれまでベンチが多かったリー(・メリーミック)が、今大会ですごく活躍してくれたことも成果の一つ。彼はもともと才能はあったけれど、クラス1.0の選手には不可欠な試合を読む力が不足していた。でも、この数年間で先を読んで動くことができるようになったんだ。こうしたチームにフィットしたパズルが、このままちゃんと残ってくれれば、これからさらにカナダ代表は強くなると感じているよ」

    • カナダにとって特に大きかったのは、グループリーグ第2戦のトルコ戦でした。実は第1戦のスペイン戦で41-78と完敗を喫し、「やっぱり世界と戦うレベルではないのかもしれない」とチームは大きく落胆したと言います。
      しかし、次のトルコ戦で初戦での大敗をひきずることなく、元ヨーロッパ王者と堂々と互角に戦いました。結果的には73-77で敗れはしたものの、延長にまでもつれこむ競り合いができたことに、チームはまた自信を取り戻すことができたそうです。
      そして、その自信を持って臨んだのが、第3戦の日本戦でした。前半はカナダが有利に試合を進め、第2Qを終えた時点で30-19と大きくリードしていました。しかし後半になって猛追した日本が、第4Qで逆転。結局、日本が62-56で逆転勝ちをおさめました。

  2. Toppic 02 日本チームについて

    • 日本とカナダが対戦したのは、18年に日本国内で行われた国際強化試合「三菱電機 WORLD CHALLENGE CUP」(WCC)以来でした。しかし、アンダーソン選手はその時から、日本が東京2020パラリンピック大会ではメダルを獲得するチームに成長する素質があると見ていたと言います。
      若手選手の成長とともに、アグレッシブなバスケをしている日本を見て非常に驚いたと同時に、「きっと日本はもっと強くなるだろう」と感じていたとか。そのため、アンダーソン選手にとって東京2020パラリンピック大会で日本が史上初の銀メダルを獲得したことは何ら驚きではありませんでした。

      では実際に3年ぶりに日本と対戦してみて、強く印象に残った日本選手は誰だったのでしょうか。一人目に挙げたのは、鳥海連志選手でした。
      「東京での彼はとにかくすごかった。ダイナミックでスピードもあって、技術も整っているプレーヤーに成長したと思う」
      アンダーソン選手が日本と対戦した試合で、鳥海選手のプレーに驚いたシーンがありました。アンダーソン選手が速攻に走る味方に出したロングパスのボールを鳥海選手がカットしたのです。
      「僕はチームメイトの走る速さに合わせてパスを出したはずなのに、彼はそれを上回るスピードで走っていたんだ。あの時は“あいつ、やるな”と思ったよ」
      さらに、アンダーソン選手はこう続けました。
      「それからこの2、3年で本当に成長したなと感じたのは、秋田(啓)選手だね。それからほかにもタク(古澤拓也)とか、選手一人ひとりが本当にいいプレーをしていた。どの試合でも、誰もがどこからでも積極的にシュートを狙っていたし、すごく自由に生き生きとプレーしている気がしたよ。レオ(藤本怜央)なんて“トリプルJ”(※Japnaese Joey Johnson)と名付けたいくらい素晴らしいプレーだった」


      ※パトリック選手とともに自国に金メダルをもたらした元カナダ代表で、世界的スター選手として知られるジョーイ・ジョンソン氏(Joey Johnson)にちなみ、藤本選手を「日本のジョーイ・ジョンソン」と称賛した言葉。

    • そして、なかでもアンダーソン選手の目を引いたのが、香西宏昭選手のプレーだったと言います。
      「彼のアプローチの仕方が、すごく変わったなと思ったよ。今までだったら、どちらかというと冷静に周囲の状況を見てからプレーするタイプだったはずなのに、東京2020パラリンピック大会では今までにないほどアグレッシブにシュートを打っていて、正直びっくりした。そしてそのヒロ(香西宏昭)に自分たちが対応することができなかったんだ。決勝のアメリカも、僕たちと同じようにヒロに対応できずに苦戦していたよね。でも、最後の4Qでようやく対応できたから日本に勝てたんだと思うよ」

      後編では、コロナ禍で行われた東京2020パラリンピックをどう感じたのか、アンダーソン選手ご自身の今後についてうかがいました。

大会概要

  • information-1

『東京2020パラリンピック競技大会』
 Tokyo 2020 Paralympic Games

開催期間:2021年8月24日(火)~9月5日(日)
競技数 :22競技
開催地:日本・東京
運営主体:国際パラリンピック委員会(IPC)
     東京2020オリンピック・パラリンピック組織委員会
競技数:22競技

車いすバスケットボールは8月25日から予選がスタート、最終日の9月5日まで熱戦が続いた。
会場は東京・有明の有明アリーナと東京・調布の武蔵の森総合スポーツプラザの2つ。

GUEST PROFILE

選手名が入ります

パトリック・アンダーソン PATRICK ANDERSON
1979年、カナダ・アルバータ州エドモントン生まれ。 9歳の時に交通事故に遭い両膝下を切断。翌年に車いすバスケットボールに出会い、アスリートとしての才能が一気に開花。1997年にカナダ代表入りを果たし、翌年の世界選手権で銅メダルを獲得。2000年シドニー大会、2004年アテネ大会で金メダル、2008年北京大会でも銀メダルを獲得。北京大会の後、音楽活動など他の夢を追うために車いすバスケットボールの活動を休止。2011年に競技復帰、翌年のロンドンパラリンピックで母国カナダを金メダルへと導く。ロンドン大会の後、再び代表チームから離れるが、2017年、カナダ代表チームに戻る。2021年、東京2020大会にカナダ代表として出場しチームを引っ張る。

TOP