6月1日、東京・日比谷公園では株式会社WOWOWが主催した「ノーバリアゲームズ」が開催されました。“#みんなちがってみんないい”をテーマに掲げた同イベントは、性別・年齢・国籍・障がいの有無を問わず、誰もが楽しめるユニバーサルスポーツイベント。ゲストには車いすバスケットボールの名プレーヤー、パトリック・アンダーソン選手(カナダ)などが参加しました。
その前日、「SPORTRAIT」では、アンダーソン選手に独占インタビューを敢行。車いすバスケ界では名実ともに世界No.1のアンダーソン選手。39歳となった今も、「スキルアップしている」と本人が語るほど、その華麗なプレーは観ている者を魅了します。しかし、過去に2度、カナダ代表チームから離れたことがあります。1度目は00年シドニー、04年アテネでパラリンピック連覇を達成した4年後の08年、北京で銀メダルに終わった後でした。2度目は、12年ロンドンの後。代表から離れ、いずれも復帰したその真相とは――。
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Topic 01 日比谷公園でノーバリアゲームズ
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「ノーバリアゲームズ」は、チーム別で競い合う運動会のようなスポーツイベント。
WOWOWが制作・放送しているパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」に出演したイタリアの車いすフェンシング・金メダリスト、ベアトリーチェ・ヴィオとその両親が運営する団体「art4sport」がイタリア国内で開催しているイベントに着想を得て、同団体の協力を得て東京で初開催したそう。
良く晴れた土曜日の日比谷公園に集まった、性別も年齢も国籍も障がいの有無も問わない、約120人の多様な参加者たち。
混ざり合って4チームに分かれ、スポーツ、音楽、アートの要素が散りばめられた障害物レースをはじめとした5種目を楽しみ、競い合いました。
ゲストには、「WHOI AM」シリーズに出演したアンダーソン選手のほか、競泳リオパラリンピック銀メダリストの木村敬一選手や、競泳シドニーオリンピック代表の萩原智子さんなどが参加。司会を務めた松岡修造さんのトークでも盛り上がり、笑顔にあふれたイベントとなりました。
同週末に開催された「日比谷音楽祭」とのコラボレーション企画として開催された今回の「ノーバリアゲームズ」。イベントの最後には、「WHO I AM」シリーズ音楽を手掛け、平昌オリンピック開会式&閉会式で音楽監督を務めた梁邦彦さんと、プロのミュージシャンとしても活躍するアンダーソン選手のスペシャルコラボレーションライブが行われ、チームに分かれ競い合った参加者も一つになって楽しみました。
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Topic 02 パトリック・アンダーソン選手 独占インタビュー
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<車いすバスケの世界がすごく小さく感じて、大海原へ飛び出したくなったんだ。>
昨年放送されたWOWOWのパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」で、アンダーソン選手は北京後に代表を離れる理由をそう語っていました。その言葉の真意を訊くと、こう答えてくれました。
「トロントやニューヨークみたいに大きな街に行きたくなるのと同じ感じだった。車いすバスケはもちろん大好きだったけれど、でも、音楽の世界が大きく感じて、そこに行きたいと思ったんだ。実は、06年世界選手権で優勝した時に、ジュニア世界選手権、パラリンピックと、すべてのタイトルを取ってしまったので達成感があった。その時から、『どうしようかな』と考えていたんだ。だから北京で銀メダルに終わったことで、代表を離れるいい“言い訳”にしたところもあったかもしれないね」
そして、さらにこう続けました。
「車いすバスケという限られた世界で、世界トップを走り続け、プレッシャーを感じながらプレーすることに疲れてしまったんだ。それよりも、大好きな音楽の世界で、プレッシャーを受けることのない“一般の人”になりたかった。たぶん、それが本音だったと思う」 -
しかし、アンダーソン選手は代表に復帰し、12年ロンドンでカナダ代表として出場。3度目の金メダルに輝きました。
「パラリンピック・ムーブメントに沸いている様子に、自分もその舞台に戻って、パラリンピックを盛り上げたいと思ったのが最初のきっかけだった。でも、実際に代表チームに戻ってプレーし始めた時に、『いや、そうじゃないな』と。『勝つためにやるんだ』と思い直したんだ」
見事、ロンドンパラリンピックでカナダを3度目の金メダルに導いたアンダーソン選手は、再び代表を離れ、ニューヨークでの生活へ。
「大学を卒業するという目的もあったし、何より妻との音楽活動も自分にとってはとても大切なことだった。とにかく中途半端な気持ちでパラリンピックを目指すことはできなかったし、ニューヨークに住みながらカナダ代表としてリオを目指すことは難しかった。行こうと思えば行けたかもしれないけれど、気持ちも環境もリオを目指すには十分ではなかったんだ」 -
2度目の代表復帰は、17年。カナダからのサポート体制が充実し、リオ前には叶えられなかった生活やトレーニングの面での環境が整えられたことが大きな理由の一つだったと言います。そして、ニューヨークのクラブに所属するアンダーソン選手は、ふだんはアメリカのリーグで各国代表クラスの選手と練習や試合をする機会があり、彼らがリオでプレーする姿を見て、再び世界トップレベルの舞台で彼らとバスケをしたいという思いが強くなったからでした。
現在は、秋から春にかけてはニューヨークで車いすバスケのクラブでプレーしながら音楽活動と家族との時間を大切にしているアンダーソン選手。そして、夏の間はカナダに戻り、代表活動に専念という生活をしています。 -
17歳でカナダ代表に初選出されて以降、順風満帆なバスケ人生を歩んできたように思われるアンダーソン選手。そんな彼にも、今でも忘れることのできない“敗北”が二つあります。一つは、02年に北九州市で開催された世界選手権での敗戦でした。
「準決勝のアメリカ戦で、自分が決めるべき時に決められずに敗れてしまった。その時は、プレッシャーに負けてしまって、大きく落胆していた。そしたら帰りの空港で当時のアシスタントコーチがこう言ってくれたんだ。『思い切りシュートを打てばいいんだよ』。その言葉に救われた気がしたよ」 もう一つは、12位に終わった昨年の世界選手権でした。
「あの時は、本当にショックだった。でも、僕以上に妻が落ち込んでいたんだ。それを見て、『あぁ、自分一人でやっているんじゃないなんだな』と改めて思ったよ。家族やみんなの協力があって、こうしてバスケをやれているんだなと。だから、もっと頑張らなくちゃいけないと思えたんだ」 -
過去に3度、パラリンピックで金メダルに輝いたパトリック選手。名実ともに世界No.1と言われるパトリック選手ですが「本当にすごいのは自分ではなく、彼だよ」と称賛を惜しまない選手がいます。元カナダ代表のジョーイ・ジョンソンさんです。
「ジョーイは、プレーヤーとしても人としても、自分とすごくフィットしていて、お互いに違う強みを持っていた。自分がスキルアップするために、彼と一緒にプレーできたことは非常に大きかったと感じているよ。彼があっての自分だったことは間違いない。ジョーイとは一緒にプレーもしたし、何度も対戦もした。だから彼の実力はよくわかっている。でも、彼は周りに求められたプレーをきちんと遂行するプレーヤーだからこそ、本当はもっと実力があることを周囲には理解されていなかった。だから時々、頭の中で『ジョーイは本当はこんなにすごい選手なんだ』と周囲に語っている自分を想像したりすることもあったよ」 -
昨年は、6月に来日し「三菱電機ワールド・チャレンジ・カップ」で日本やドイツ、オーストラリアと対戦。8月には世界選手権に出場しました。何度も世界の頂点に立ったアンダーソン選手の目には、現在の車いすバスケ界はどんなふうに映っているのでしょうか。
「全体のレベルが上がって、強豪国と言われるチームが増えたなと思う。一昔前までトルコやイランがこんなに強くなるなんて想像もしていなかったからね。レベルが上がっている分、勝つことがとても難しくなっている。でも、だから面白いし、楽しいんだ」
昨年の世界選手権では12位という成績に終わったカナダ代表。しかし、アンダーソン選手は以前にはなかった“やりがい”を感じています。
「昔のカナダは、金メダルを取らなければならないというプレッシャーが常にあった。でも、世界全体のレベルが上がり、そう簡単には勝てなくなった今は、金メダルを目標にしていることは変わらないけれど、ちょっと違う。逆に自由にいろいろと試すことができているなと。今はパズルを組み合わせるように、少しずつ強くなっていこうとしているんだ。僕自身も今、さらに技術力が上がってきているなと感じられている。だからこそ、いろいろなことにチャレンジできているんだ」 -
最後に、1年後に迫った東京パラリンピックへの思いについて訊きました。
「パラリンピックの前に、まずは今年9月の予選を突破することが先。それからでないと、東京のことは考えられないんだ。でも、こんなことは初めて。過去に予選のことしか考えられないなんてことは一度もなかったからね。これまでは、予選突破は当然のことだった。でも、今回は違う。それだけ世界のレベルが上がっていることを感じているよ。大変だけど、やりがいがある。それに、車いすバスケ界にとってはとてもいいことだよね」
アンダーソン選手率いるカナダ代表が予選を突破し、来年、東京でどんなプレーを見せてくれるのか。今からとても楽しみです!
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『ノーバリアゲームズ』
日時:2019年6月1日(土)14:00~18:00
会場:日比谷公園第二花壇
株式会社WOWOW「WHO I AMプロジェクト」、日比谷音楽祭実行委員会
特別協力 :art4sport
協力:一般社団法人ZEN、NPO法人STAND、上智大学 ソフィアオリンピック・パラリンピック 学生プロジェクト Go Beyond
MC:松岡修造
会場音楽:梁 邦彦&ノーバリアンズ
ゲスト:パトリック・アンダーソン、森井大輝、木村敬一、小林幸一郎、北澤豪、髙阪剛、東尾理子、萩原智子、大西将太郎
進行:増田美香(WOWOWアナウンサー)
GUEST PROFILE
1979年、カナダ・アルバータ州エドモントン生まれ。 9歳の時に交通事故に遭い両膝下を切断。翌年に車いすバスケットボールに出会い、アスリートとしての才能が一気に開花。1997年にカナダ代表入りを果たし、翌年の世界選手権で銅メダルを獲得。2000年シドニー大会、2004年アテネ大会で金メダル、2008年北京大会でも銀メダルを獲得。北京大会の後、音楽活動など他の夢を追うために車いすバスケットボールの活動を休止。2011年に競技復帰、翌年のロンドンパラリンピックで母国カナダを金メダルへと導く。ロンドン大会の後、再び代表チームから離れるが、2017年、カナダ代表チームにもどり2020年東京大会を目指し活動中。