史上初めて1年延期となり、さらに無観客での開催となった東京2020パラリンピック。異例づくしとなった世界最高峰の舞台は、自身4度目の出場となった香西選手にはどう感じられたのだろうか。自国開催の意義、さらには史上初の銀メダルによってもたらされたものとは何だったのか。あれから約1年、【#AFTERTOKYO2020】香西宏昭選手のAFTER TALK編です。
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Topic 01 思い出したバスケットボールへの情熱
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東京2020パラリンピックまでの道のりは、新型コロナ感染症が収束する見通しがたたない中、開催自体が危ぶまれ、アスリートにとっては常に不安がつきまとった1年だったに違いない。そんななかで迎えた大会、香西選手にはある気持ちが沸き上がっていた。
「コロナ禍での開催は、本当に大変なことだったと思います。組織委員会や大会スタッフ、ボランティアの方々はもちろんですが、僕たち選手が見えていない部分でも尽力していただいた方がたくさんいらっしゃったのだと。そうした方々のおかげで、僕たち選手は5年間積み重ねてきたことを出して挑戦する機会を与えていただくことができました。そのことに、まずは感謝したいと思いました」 -
本番を迎える前には、一番大事なことにも気付かされたという。緊急事態宣言が発令された2020年3月から約4カ月間、車いすバスケットボール日本代表の活動はストップ。個人的にも体育館での練習は一切できなかったため、トレーニングは専ら自宅できるウエイトトレーニングや、密を避けて外を走ることだけに限られた。
約1カ月半後、ようやく体育館での個人練習ができるようになった。すると、懐かしい感覚がよみがえってきた。
「ドリブルをつくだけで、すごく嬉しかったんです。“ドリブルってこんな感じだったな。こんな音が響いてたんだったよな”って。そこから徐々に、1人での練習から2人、3人になって2対2とか3対3とかするようになって、最終的にはまた5対5のバスケができるようになっていきました。その過程を踏んでいく中で思ったのが、“あぁ、バスケって楽しいな。やっぱりバスケが好きなんだな”ということ。いつの間にか忘れていた気持ちを取り戻すことができました。それもまた東京2020パラリンピックに向けて、大きな原動力になったように思います」
代表活動を続けていくなか、気づけば「バスケットボールが好きだからやっている自分」を忘れかけていたという。だから“こうなりたい”という自然と沸き上がる感情ではなく、使命感や責任感による“こうならなければいけない”という考え方をするようになっていた。
「コロナになる少し前に(前男子日本代表ヘッドコーチの)及川晋平さんに言われたことがあったんです。(英語で言うと)“I have to”より“I want to”の方が自分にもたらすエネルギーは強いんじゃないのか、と。その時は“そうは言っても”というふうにしか受け止められなかったのですが、その通りでした」
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Topic 02 東京パラからつなぐ車いすバスケへの灯
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大会期間中SNSでは「#車いすバスケットボール」がトレンド1位を獲得するなど、一大ムーブメントとなった。その反響の大きさは、香西選手もひしひしと感じていた。だからこそ、東京2020パラリンピック終了後、一番に考えたのは「一過性のもので終わらせたくない」ということだった。そのためにどうしてもやり遂げたいことがあった。所属するドイツのブンデスリーガ(1部)のチームでのリーグ優勝だ。
今年5月、また新型コロナの感染者が増加していた日本国内では、車いすバスケットボールに関する大会やイベントはほとんどが中止や延期。そうした状況下、世界トップレベルにあるドイツリーグでプレーする日本人選手の香西選手と藤本怜央選手の存在は大きかった。
「東京パラリンピックで車いすバスケに興味を持ってくれた方々に、ドイツリーグでの僕たちのプレーを見てもらって、さらに好きになってもらえたら嬉しい。そのためにも、優勝できるように頑張りたいと思います」
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その言葉通り、香西選手は藤本選手とともにチームの主力として活躍。ライバルとの対戦となったファイナル(2戦先勝)では、第1戦では藤本選手が、第2戦では香西選手がそれぞれチーム最多得点を叩き出し、5シーズンぶりの優勝に大きく貢献した。香西選手にとってそれは“3度目の正直”でつかんだリーグタイトルだった。
シーズン中、時差で日本国内では深夜の時間帯が多かったにもかかわらず、多くのファンがオンライン中継で試合を観戦し、声援を送っていた。香西選手のSNSにもたくさんの応援のコメントが届いた。それが、大きなモチベーションとなっていたと語る。
「優勝することができて、本当に良かったです。東京パラリンピックで車いすバスケを見てファンになってくれた人たちにも、楽しんでもらえたんじゃないかと思います。実は、東京大会のすぐ後に渡独するのは大変でした。でも、日本国内では天皇杯が中止になるなど、試合を見る機会が少なかったなか、僕たちがこうしてドイツでプレーしたことは大きな意味があったように感じます」
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Topic 03 次世代につなげたい自らの経験値
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ドイツリーグでシーズンを過ごす中、香西選手が決断したのは翌シーズンからは活動の拠点を日本に置くことだった。ドイツのチームからは翌シーズンのオファーを受けており、残留を強く求められていた。それはとてもありがたいことだったが、香西選手の考えは変わらなかった。
「これから何をしていきたいのか、どうしていきたいのかを考える中で思ったのは、自分が子どもの頃のこと。晋平さんや、大学時代の恩師であるマイク・フログリー氏と出会ったおかげで、僕はイリノイ大学に進学したり、ドイツリーグでプレーするプロ選手にもなれました。日本代表としてパラリンピックにも4回も出場し、銀メダルを取ることができました。でも、それって運が良かっただけのことで、何かそういうシステムがあるわけではありません。だから障害のある子どもたちが、やりたいと思ったことに思い切り挑戦できる、そんな環境をつくりたいと思いました」
必要とされる限り日本代表活動を続けていくと決めている香西選手は、今も自分自身を磨くことにも貪欲でいる。しかしすでに自分は20年間、アスリートとして高みを目指すことに思い切り挑戦させてもらってきた。そんな経験値を、今度は子どもたちにもしてもらいたい。そのためには、日本の車いすバスケットボール界ではレアな道を歩んできた自分自身が動かなければと考えた。そして先送りすることなく、ほんのわずかでもやれることから始めていこう。それが日本帰国のタイミングが“今”だった理由だった。
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香西選手がスタッフを務めるJキャンプ(車いすバスケの普及育成などを行うNPO法人)の理念「自分の可能性を夢見て、障害が選択肢を狭めることのない自己選択と自己決定ができる社会環境づくりを目指す」ことが、香西選手の目標だ。
「まずは日本全国をまわりたいと思っています。僕が教えられることもあるだろうし、逆に皆さんから僕が学ぶこともあるはず。たくさんの人と触れ合いながら、次のアクションにつなげていけたらなと思っています」
国際車いすバスケットボール連盟の選手委員も務める香西選手。国内外にわたって幅広く活躍することが期待されている。
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大会概要
『東京2020パラリンピック競技大会』
Tokyo 2020 Paralympic Games
開催期間:2021年8月24日(火)~9月5日(日)
競技数 :22競技
開催地:日本・東京
運営主体:国際パラリンピック委員会(IPC)
東京2020オリンピック・パラリンピック組織委員会
競技数:22競技
陸上競技は8月25日から競技がスタート、最終日の9月5日まで熱戦が続いた。
会場は東京・新国立競技場とマラソンが東京の街なかで実施。