冷静なプレーと緻密な戦略、ショットの精度が武器の杉村英孝選手は、2021年夏の東京パラリンピックで日本初のボッチャ個人金メダルに輝いた。日本代表チーム「火ノ玉ジャパン」のキャプテンを務めた団体でも銅メダルを獲得。この快挙を機に「ボッチャの杉村」は日本中に知れ渡り、得意技の「スギムライジング」は流行語大賞にもノミネートされた。パリ2024パラリンピックで大会連覇を狙うボッチャ界のスターの“現在地“に迫る。
「過去の自分に打ち勝った」東京2020パラリンピック
自身初出場だったロンドン2012パラリンピックから3大会に連続出場。母国開催の東京2020大会で悲願の金メダルを手にした杉村英孝選手がこの冬、気になっていたのは北京2022冬季パラリンピックのカーリング中継だった。
「カーリングとボッチャは似ていると紹介された中で、東京大会の試合映像が流れて懐かしいなと思いました」
ボッチャは自球の赤いボールと青いボールを6球ずつ持ち、投げたり転がしたり蹴ったりしながら、ジャックボールと呼ばれる白い目標球に近づけるスポーツだ。
ルールは至ってシンプルだが、何手か先を読む緻密な戦略と1ミリ単位の正確なショットが勝敗を分ける頭脳戦であり心理戦。そこが自陣のストーンを氷上のハウス(円)中心にできるだけ近づけるカーリングとよく似ているため「地上のカーリング」と呼ばれている。
杉村選手は東京2020パラリンピックのボッチャ個人(脳性まひBC2クラス)決勝で、圧倒的な強さを誇るリオ2016パラリンピック金メダルのワッチャラポン・ウォンサ選手(タイ)を下した。
ボッチャ強豪国のエースに対し、「相手どうこうよりも『過去の自分に打ち勝つ』をテーマに、できる限りの準備をして臨んだので勝つ自信はあった」と激闘を振り返る杉村選手。
自信の裏づけとなった周到な準備は、トーナメントの1回戦で敗れたロンドン2012パラリンピック直後から積み上げてきたものだ。手始めはボールの改良だった。
「ロンドン大会の頃、日本にはまだボールをチューニングするという意識がなかったんですが、リオ大会を目指すにあたりタイの選手を真似て市販のボールをチューニングし、マイボールとして使うようになりました」
ボッチャのボールは天然皮革や人工合皮に覆われ、表面には縫い目がある。中にプラスチック性の「ペレット」と呼ばれる小さな合成樹脂の粒が入っており、硬さはさまざま。その一つ一つに特徴=クセがあり、杉村選手は戦況に応じてボールをチョイスし、寄せる、弾く、乗せる、ねじ込むなど多彩なショットを絶妙にコントロールするのだ。
用具開発や筋肉アップなど周到な準備が自信の裏づけに
団体は銀メダルだったものの、個人は5位に終わったリオ2016パラリンピック後、杉村選手はもう一段階、自身のパフォーマンスを上げるため、当時、世界でも類を見なかったボッチャ仕様の電動車いす製作に乗り出した。
この前例のない挑戦は、車いすメーカーが2017年春から開発を進め、折り畳み式だったフレームを固定式にし投球時の反動による軋みを抑えたり、バッテリーを右タイヤ上部から座席の下に移すことで重心を安定させるなどの工夫が施されたという。
「1ミリや1度の角度で調整をお願いし、自分の感覚に納得がいくまで突き詰めたので、その部分でも自信を持ってパフォーマンスを発揮できました」と杉村選手。
パラスポーツでは、選手の体の一部となる用具の性能や進化が競技パフォーマンスを大きく左右する。杉村選手の金メダルにもエンジニアの技術と汗が詰まっている。
そして2018年になると、約3年前に始めた自身の筋力アップトレーニングも強化。
筋肉が硬くなり手足を思うように動かせなかったり、体のバランスを取るのが難しかったりする脳性まひで、フィジカルトレーニングを取り入れる選手は滅多にいないが、車いすに座っている時間や姿勢などによってコンディションが変わりやすい杉村選手は、それが試合の投球に響くこともあったため、出来るだけ筋力をつけ体の状態を維持できるよう、フィジカルトレーニングを取り入れた。
トレーニングは2010年に地元静岡で出会い、ロンドン2012パラリンピックに向けてサポートに入った作業療法士の内藤由美子コーチの助けを借りて行っている。特に2018年からは内藤コーチとの練習時間が増え、効率的なトレーニングに繋がっているという。
「自分のできる範囲でチューブトレーニングをしたり、つかまり立ちで体幹トレーニングをしたり、マットに仰向けになって腹筋とまではいかないですけど、お腹に力を入れるトレーニングをしたり。一人では限界がありますが、内藤コーチがついてサポートしてくれるおかげでメニューが増え、コンディショニングやリカバリーケアができる環境も整いました」
パワーボールも使えるようになったという日々のトレーニングの成果は試合のパフォーマンスに直結すると実感している杉村選手。「以前は気づけなかった小さな状態の変化に気づけるようになって、大会中でも修正をかけパフォーマンスを上げていけるようになった」と話す。
「自己選択」と「自己決定」が魅力のボッチャ
東京パラリンピックの活躍で広く知られるようになったボッチャは競技の面白さに加え“名言”が話題となった。その一つが「ビッタビタ」。
杉村選手が自球をジャックボールに寄せた場面で、テレビ中継の解説者が「ビッタビタですよ!」と言ったのが視聴者にインパクトを与えSNS上でバズった。
さらに杉村選手が得意とするライジングショットの「スギムライジング」。ボールが密集して自球をジャックボールに寄せられないとき、密集地帯の上に自球を乗せジャックボールに接触させるスーパーショットだが、これが通信教育の大手企業が主催するユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされ、選ばれた30語のトップ10に入った。
「びっくりしました。ノミネートされた時点で『マジか!?』と思って、トップ10に残ってまた『マジか!?』って。周りのみんなも『マジか!?』って驚いて、マジか連発でしたね(笑)。ボッチャという名前を知ってもらえる大きな一歩になったと思います」
そう愉快そうに話す杉村選手だが、普段はクールな男で通っている。本人も「人見知りで、喋るのがあまり得意じゃない」と言うが、話す言葉は理路整然とし、頭の中がいかに整理されているかがわかる。
しかし、緻密な戦略家はしばしば慎重になり過ぎる面もあるようだ。杉村選手と長い付き合いの内藤コーチは「石橋を叩いて、叩いて、叩き割って渡ってこない選手です」と笑う。
例えば新しいトレーニングメニューを試す際も、なぜそのトレーニングが必要なのか、自身の体にどういう変化が期待できるのかなど全てに納得しないと動かない。
投球技術に関しても、「練習で完璧に出来ないことは試合で出来ない」という理屈から、本番で一か八かチャレンジする選択肢は自分にはあり得ないと断言。
そんな杉村選手のトレーニング場の壁にはライバル選手の写真が貼られている。トレーニング中も具体的な試合をイメージするためだ。
そして、大会が終われば必ずトレーニングで同じ状況を再現。納得できるまで投球を重ね、また大会が迫ると相手選手の戦略や癖を想定し、あらゆる状況に対応できるよう完璧に準備をして試合に臨む。
ボッチャという競技は、杉村選手にとって「自己選択」と「自己決定」が最大の魅力。そこから逃げたくないという。
「日常生活では介助やサポートが必要な状態ですけれど、コート上では誰の手も借りず自分で考え、やりたいことを決め、実行することができます。どんなに障害が重くても最終的な判断は全て選手が行えるのがボッチャのすごいところ。そんな素敵な競技に出会えて本当に良かったなと思います」
パリ2024パラリンピックまで、2年を切った。目指すは2大会連続の金メダルだ。
「大会連覇は自分にだけ許された挑戦です。勝負は常に挑戦の繰り返し。現状維持では勝てないと思うので、また新しい杉村をしっかり作り上げていきたいです」
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杉村英孝(すぎむら ひでたか)
1982年3月1日生まれ。静岡県伊東市出身。
先天性の脳性まひで両手両足が自由に動かない。
特別支援学校の高等部3年生のとき、先生にビデオを見せてもらったのを機にボッチャを始める。
2001年に競技を開始。
リオ2016パラリンピック(Team BC1-2クラス)団体銀メダル。
東京2020パラリンピック個人(BC2クラス)金メダル、団体(Team BC1-2クラス)銅メダル。
得意技は密集するボールの上に自球を乗せジャックボールに接触させる「スギムラジング」