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車いすバスケットボール 香西 宏昭

揺るがない心

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揺るがない心

現在、車いすバスケットボール界において日本人唯一のプロとして活躍している香西宏昭選手。パラリンピックには2008年北京から3大会連続で出場。常にエースとして日の丸を背負ってきた一人だ。

「日本が世界で勝つには、まず自分が変わらなければならない」と感じ、競技人生のターニングポイントとなったのは、2016年リオデジャネイロパラリンピック。あれから3年、香西選手は常に進化し続けてきた。

この3年間、「一日たりとも無駄にはしない」という決意が揺らぐことはなかった。人知れず悩み、苦しい時期を乗り越えながらも、バスケットボールに100%注ぎ込んできた。

そんな日々を過ごしてきた充実感と自信の表れなのだろう。重厚感を覚えるほどの落ち着き払った表情と言葉からは、エースとしての風格が漂う。

香西選手は米イリノイ大学で2度にわたってシーズンMVPに輝き、大学卒業後はプロとして、世界最強リーグの一つドイツ・ブンデスリーガで昨年まで6シーズンにわたってプレーしてきた。

チームからもファンからも信頼され、親しまれた香西選手。昨シーズンまで2年間所属したチームの最高経営責任者であるアンドレアス・ヨネック氏は彼についてこう語っている。

「ヒロは真面目で、すごく優秀なプレーヤー。そして、いつも笑顔で接してくれるから、みんな彼のことが好きなんだ」

しかし、今シーズンは日本での活動を選択した。チームやファンからは多くの惜しむ声が聞かれたが、決意が揺らぐことはなかった。

「海外でプレーしてきたのは、東京パラリンピックで日本代表が勝つために自分がレベルアップし続けていくことが必要だと考えていたからです。でも、東京までの最後の1年は日本のチームメイトと一緒に日本のバスケを磨いていく時間を作りたいと思いました」

香西選手が、国内を活動拠点にするのは、高校生の時以来、実に13年ぶりのこととなる。だが、彼に迷いや戸惑いはない。

「この時期に日本にいるのは、かなり久しぶりのはずなのに、何の違和感もなくしっくりきているんです。それだけ自分の中で納得して決めたことだったんだなと。改めて自分にとって最良の決断をしたと感じています」

男子車いすバスケ界史上初のメダル獲得へ――すべてを車いすバスケに捧げた先に、競技人生のハイライトが待っている。

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揺るがない心

リオデジャネイロパラリンピック後、香西宏昭選手が追い求めてきたものがある。

「不動心」――なにごとにも一喜一憂しない、揺るがない心だ。

「リオの時までは、周りに対しても自分に対しても、思うようにいかないとすぐにイライラしていました。『なんでそこにパスをするの?』『そのシュートは決めてくれよ!』ということを、チームメイトに言ってしまうこともあったんです。でも、そのたびにそんな自分が嫌でした。自分だってミスをするのに『オレは何様なんだよ』って……」

しかし、勝利への執着心でもある苛立ちは、決してマイナスな部分だけではないと考えていた。
プラスのエネルギーにするためにはどうすべきかを考えた時、ある選手の姿が頭に浮かんだ。日本のプロ野球でも活躍した、元メジャーリーガーの松井秀喜さんだ。

小学生のとき、野球が好きでよく父親とプロ野球を観戦していた香西選手。その時に憧れていたのが松井さんだったという。

「松井さんは、試合ではあれだけ豪快なバッティングをするのに、勝っても負けても、自分が打っても打てなくても、どんな時も変わらず、丁寧に誠実にインタビューに答えていました。そんな松井さんの姿勢がかっこいいなと。そのことを思い出して、自分もああいう選手になりたいと思ったんです」

今、日本代表や日本の所属チームNO EXCUSEで付けている背番号「55」は、そんな思いが込められている。

「不動心」に至るには、自分はまだまだ遠い場所にいると語る香西選手。それでも、“揺れの範囲”は小さくなってきていることを実感している。

「もちろんイライラすることもあるのですが、それが表面化する前に、自分自身で客観的に気付けるようになってきたんです。『あぁ、今、イライラしているな』と。でも、そもそも速い攻守の切り替えを武器とする日本のバスケにおいて、そんな暇は本来はないはずなんです。なので、イライラしている自分に気づいた時には、すぐに今やるべき戦略・戦術に集中するようにしています」

プレーだけでなく、一人のプロアスリートとして、人として磨きをかけている香西選手。
「揺るがない心」で、今、真っすぐに東京パラリンピックへの道を進んでいる。

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