2017年7月、北九州で開催された「ジャパンカップ」。宇城元選手は目標としていた185㎏を上回る、自己ベストの186.5㎏をマークして優勝してみせた。しかし、本人いわく「まったく納得できるものではなかった」という。
「完成度からすると、あの時の自分はまだまだでした。だから数値的には自己ベスト更新でも、嬉しさは全くなかったですね」
インタビューの冒頭でのこの言葉に、宇城選手というアスリートのストイックさが染みわたっていた――宇城元、45歳。酸いも甘いも経験してきたからこその魅力に迫る。
忘れられないリオへの道が閉ざされた瞬間
宇城選手には未だに目に焼き付いたまま、忘れることのできない悔しいシーンがある。2016年2月に行われたワールドカップ(マレーシア)だ。
リオの切符は、2016年3月までの世界ランキングによって決定することになっていた。そして、その2月のワールドカップがランキングに登録される最後のチャンスとなっていた。
当時、宇城選手の自己ベストは、3カ月前の2015年11月の国際大会でマークした186㎏。そのままいけば、ぎりぎりでリオの切符を獲得することができる状況にあった。ところが、その大会でギリシャ人のライバル選手が、それまでの185㎏の自己ベストを更新し、宇城選手と同じ186㎏をマークしたのだ。そして、そのシーンを、宇城選手は会場ではなく、自宅で見ていた。ちょうどその時期は、仕事が忙しく、海外の大会に行くことができなかったのだ。
「ネットでライブ配信を見ていたのですが、彼が186㎏を成功させた瞬間、僕のリオへの挑戦は終わりました。同じ持ち記録の場合、体重が軽い方がランキングが上になるため、僕より軽量の彼にランキングを超されてしまったんです。『この大会に出ていたら……』と思うと、本当に悔しかった。日本でネットを見ている自分が歯がゆくて仕方ありませんでした」
同年3月、最終ランキングが発表され、同時にリオの切符獲得者が決定した。選考レースの勝敗のボーダーラインは、ギリシャ人選手と宇城選手の間に引かれ、宇城選手はまさに「あと一歩」のところで出場権を逃した。その時の悔しさは、今も忘れることができない。そして、もう二度と味わいたくない「過去」の一つとして、宇城選手の頭に焼き付いている。
「復活の狼煙」にも厳しい自己評価
「復活の狼煙を上げる」
2017年、宇城選手はその一点に集中していた。
日本のトップに君臨してきた彼のプライドが、そこにはあった――。
2016年7月、宇城選手は1年以上もの間、激痛に耐えてきた左肩を手術した。手術は無事に成功し、リハビリも順調に進んだ。そうして2017年、実戦の舞台へと復帰した。このとき、長年日本のパワーリフティングをリードしてきたプライドが、宇城選手のモチベーションとなっていた。
「もう、宇城は終わったとか、ダメになったとか、そんなふうに思われるのだけは絶対に嫌だった。まだまだ高いレベルでやれることを示したいと思ったんです」
そこで、まず照準を合わせていたのは、同年7月の「ジャパンカップ」だった。ここで、復活の兆しを示すようなパフォーマンスを見せたいと考えていた。目標は、自己ベスト(186㎏)にほど近い「185㎏」と設定した。
結果は、その目標を上回る「186.5㎏」。自己ベストを更新しての優勝を果たした。傍から見れば完全なる「復活」と言ってよかった。だが、宇城選手自身は違っていた。
「確かに、その時の自分の状態では納得の結果でした。復活への一筋の光になったとは思います。でも、技術的にはまだまだ戻りきってはいないということも突き付けられていたんです」
自らを甘やかすことなく、常に厳しい目を向ける宇城選手。国内トップの座を譲ることなく、世界の超人たちと戦うステージに居続けられるのは、そんなストイックさがあるからにほかならない。
ストイックが故の「目標設定なし」の今
手術をした左肩は、完全に戻ることはないという。だからこそ今、宇城選手はその左肩とどう付き合っていき、自らのパフォーマンスを高めていくかを模索している。
そんな中、「完全復活」のために必要なピースの一つが、今年9月のアジア選手権と考えている。だが、明確な目標を定めてはいない。そこにはストイックな彼らしい理由がある。
「アジア選手権では、自分が納得する結果を残すこと以外にないと思っています。ただ、まだ明確な目標は言えません。なぜなら、達成できそうにもない目標を言うことほど無駄なことはないからです。左肩との付き合い方やトレーニング方法を模索している今は、まだ目標を設定する時ではないと思っています」
宇城選手の視線の先にあるのは、2年半後の2020年東京パラリンピックにほかならない。そのためのロードマップを間違った方向に描くことだけは避けなければならない。だからこそ、周囲に流されることなく、冷静に現状を把握し、自らに最も適した道を選択していくつもりだ。アジア選手権の目標設定を焦らないのも、その一つだ。
「後から振り返った時に、自分が何をどうしてきたか、ということを詳細に言えるくらい、とにかくその時その時に、やるべきことに集中していきたいと思っています」
パワーリフティングを始めて18年。ベテランの域に入った今もなお、自らの成長を感じているという宇城選手。競技歴20年目を迎える2020年に、もう一花咲かせるつもりだ。
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宇城 元(うじろ はじめ)
パワーリフティング・男子80㎏/順天堂大学職員
1973年1月28日、兵庫県生まれ。
1996年、大学4年の時にバイク事故で車いす生活となる。
入院中に雑誌で目にしたパラパワーリフティングの選手に憧れを抱き、
25歳の時に始める。
5年後の2004年、アテネパラリンピックでは初出場で8位入賞(67.5㎏級)を果たす。
2012年ロンドンパラリンピックでは75㎏級に出場し、7位入賞。
現在は2016年7月に手術した左肩を調整しながら、自己ベスト更新を目指し、
2020年東京パラリンピックに向けて強化を図っている。