#AFTER TOKYO2020 車いすバスケ界のスーパースターに独占インタビュー<後編>
AFTER TALK

#AFTER TOKYO2020 車いすバスケ界のスーパースターに独占インタビュー<後編>

東京2020パラリンピック大会で、9年ぶりに世界最高峰の舞台にカムバックを果たしたのが、車いすバスケットボール男子カナダ代表のパトリック・アンダーソン選手です。そのカナダとの壮絶な戦いを制し、決勝まで勝ち上がった男子日本代表を、車いすバスケ界のレジェンドは、どう感じたのでしょうか。また、コロナ禍で行われた東京大会はどのように映ったのでしょうか。大会が終了してアメリカの家族の元に戻ったアンダーソン選手に、オンラインでインタビューしました。

  1. Topic 01 TOKYO2020

    • どんなことでもいい悪いはあるという前提のもと、東京2020パラリンピック大会は「自分たち人間がコントロールできないことが多かった」と語るアンダーソン選手。最も悲しく寂しいと感じたのは、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、大会が無観客で行われたことだったと言います。アンダーソン選手自身、準決勝の日本とイギリスとの好ゲームをスタンドで見ながら「ここに日本人の観客がいたら、どんなに盛り上がっていただろうか」と残念に感じたそうです。
      「カナダでも東京パラリンピックの試合は結構たくさんライブ配信されていて、多くの人々が自宅で見ることができたことは良かったと思っているよ。ただ、やっぱり会場でいつものように開催国の子どもたちからサインや写真をお願いされることがなかったことについては、とても寂しく感じたよ」
      一方で、コロナ禍での開催だったにもかかわらず、競技運営がスムーズに行われていたことについては、とても感動したと言います。また笑顔で迎え入れ、丁寧に対応してくれたボランティアは「過去に出場したパラリンピックの中でも一番だったと思う」と語ってくれました。

  2. Topic 02 今後の目標について

    • 最後に、今後の目標について訊いてみました。代表活動においては、家族やカナダ代表チームのコーチとも相談をしながら決めようと考えているというアンダーソン選手。そんな彼が今最も関心を抱いているのが、車いすバスケットボールの将来についてです。大きなきっかけとなったのが、IPC(国際パラリンピック委員会)が通達したクラス分けの規程によって、パラリンピックの出場の権利を奪われた選手が出たことにありました。
      「クラス分けについては、IPCとIWBF(国際車いすバスケットボール連盟)が話し合いをしなければいけないと思っているよ。そのなかで、車いすバスケットボール界としてどうしていくのかを考えていく必要があると思っているんだ。僕自身はカナダが取り組んできた“誰でも参加できるスポーツ”としての環境づくりに関心がある。だからパラリンピック競技の一つとしてIPCの規程に沿っていくのか、それとも独自のチャンピオンシップを充実させていくのか。これからいろいろと考えていかなければいけないと思っているよ」
      アンダーソン選手が所属するアメリカのクラブチーム「ニューヨーク・ローリング・ニックス」は、NBAの「ニューヨーク・ニックス」の傘下にあり、アンダーソン選手は「2つのチームは、まるで親戚みたいで、僕たちもニックスの選手と同じようにアスリートとしての対応をしてもらえるんだ」と語ります。
      今後、現役選手としての活動の割合が小さくなるにつれ、アンダーソン選手は車いすバスケ界の環境づくりに身を置きたいと考えているようです。

    • 現在、アメリカのニューヨークに住んでいるアンダーソン選手。東京2020パラリンピック大会からちょうど1カ月が経った10月5日には、所属するニューヨーク・ローリング・ニックスの試合のハーフタイムでのデモンストレーションで、東京2020パラリンピック大会後初めて競技用車いすに乗ったそうです。
      そのとき、一緒にパフォーマンスを披露したのが、スティーブ・セリオ選手。エースとして男子アメリカ代表をけん引し、前回の16年リオデジャネイロ大会に続く連覇達成に大きく貢献した選手です。
      スティーブ選手から東京2020パラリンピック大会で獲得した金メダルを見せてもらったアンダーソン選手の息子さん。初めてメダルに興味を持った様子で「パパはメダルをもらえなかったんでしょ?と言われてしまったよ」と笑いながら話をしてくれました。

    • 来日するたびに、日本が大好きになっているというアンダーソン選手。東京2020パラリンピック大会では、家族を連れて来日することを楽しみにしていたそうです。実際はそれが叶わなかったため、このコロナ禍の状況が落ち着き次第、まず最初にしたいことは「家族を東京に連れていくこと」なのだそうです。
      そんな親日家のアンダーソン選手から、日本の車いすバスケットボールファンに向けて、次のようなメッセージをいただきました。
      「東京パラリンピックで開催国の日本がメダルを取るということは、本当に大変なことだったと思う。だから大きなプレッシャーのなかで、日本が銀メダルを獲得したことは本当に素晴らしいことで、ぜひ日本のファンは誇りに思ってほしいんだ。でも、今のうちだっていうことは言っておくよ。そのうちカナダがメダルを取るチームになるからね(笑)。特に鳥海は“かかってこいよ”っていう強気な姿勢できていたからね。次は僕が彼を驚かすプレーをしてみせるよ。もちろん、冗談だよ(笑)。真面目な話に戻るけど、日本の車いすバスケへの情熱は僕もすごく感じているよ。日本がメダルを取ったという現状をぜひ誇りにして、周りの人にも伝えてほしいんだ。そして、これからも車いすバスケを楽しんで!」
      11月22日にカナダの車いすバスケットボール連盟の発表によれば、11月22日から28日に行われた強化合宿にアンダーソン選手も参加したとのこと。カナダ代表のチーム再建に不可欠な存在であることは、想像に難くありません。今後も、アンダーソン選手擁するカナダ代表との対戦が楽しみですね。

大会概要

  • information-1

『東京2020パラリンピック競技大会』
 Tokyo 2020 Paralympic Games

開催期間:2021年8月24日(火)~9月5日(日)
競技数 :22競技
開催地:日本・東京
運営主体:国際パラリンピック委員会(IPC)
     東京2020オリンピック・パラリンピック組織委員会
競技数:22競技

車いすバスケットボールは8月25日から予選がスタート、最終日の9月5日まで熱戦が続いた。
会場は東京・有明の有明アリーナと東京・調布の武蔵の森総合スポーツプラザの2つ。

GUEST PROFILE

選手名が入ります

パトリック・アンダーソン PATRICK ANDERSON
1979年、カナダ・アルバータ州エドモントン生まれ。9歳の時に交通事故に遭い両膝下を切断。翌年に車いすバスケットボールに出会い、アスリートとしての才能が一気に開花。1997年にカナダ代表入りを果たし、翌年の世界選手権で銅メダルを獲得。2000年シドニー大会、2004年アテネ大会で金メダル、2008年北京大会でも銀メダルを獲得。北京大会の後、音楽活動など他の夢を追うために車いすバスケットボールの活動を休止。2011年に競技復帰、翌年のロンドンパラリンピックで母国カナダを金メダルへと導く。ロンドン大会の後、再び代表チームから離れるが、2017年、カナダ代表チームに戻る。2021年、東京2020大会にカナダ代表として出場しチームを引っ張る。

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