【#AFTER TOKYO2020】香西 宏昭 選手(車いすバスケ)GAME REPORT編

【#AFTER TOKYO2020】香西 宏昭 選手(車いすバスケ)GAME REPORT編

車いすバスケットボール界に旋風を巻き起こし、男女通じて史上初の銀メダルを獲得した車いすバスケットボール男子日本代表。攻防にわたってチームの要として活躍し、世界から注目を集めた香西宏昭選手。自身4回目となった世界最高峰の舞台は、どんな大会となったのだろうか。あれから約1年、【#AFTER TOKYO2020】香西 宏昭選手のGAME REPORT編です。

  1. Topic 01 初めて出会えた“誇れる自分”

    • 12歳で始めた車いすバスケットボール。高校時代から日本のトップ選手として活躍し、2008年北京大会から日本代表としてパラリンピックの舞台を踏んできた。アメリカのイリノイ州立大学ではキャプテンを務め、全米選手権で優勝。各国のトップ選手たちが集結する中、年間MVPにも輝いた。さらに大学卒業後は、ドイツのブンデスリーガ(1部)のチームで主力としてプレーしてきた。

      一見、エリートコースを歩んできたと思われる香西選手だが、車いすバスケットボールにおいては一度も“誇れる自分”を感じたことがなかったという。

      ようやくその境地にたどり着いたのが、東京2020パラリンピックだった。

      「これでやっと一つ、バスケットで誇れるものができたように思います」

    • それは、銀メダルを獲得したこともある。個人としてもスリーポイントシュートの成功本数(14本)、成功率(51.9%)はいずれもトップの数字を残すなど、チームに大きく貢献したこともある。だが、香西選手にとって何より誇らしく思えたのは、東京2020パラリンピックまでの5年間の道のりだった。

      「(2016年の)リオデジャネイロパラリンピックは、競技人生で一番悔しい思いをした大会でした。自分ではやれることはすべてやって臨んだはずでしたが、終わってみれば、ぜんぜん足りていなかった。“もう二度とこんな思いはしたくない”という気持ちでスタートして、試行錯誤しながら歩んできた5年間だったんです」

      一日も無駄にすることなく“今日は今日の100%を出す”を遂行してきた香西選手。東京2020パラリンピックの舞台でプレーをしながら、「5年間やってきたことが間違いではなかった」と感じることができたことが、何よりの喜びだった。

      「決勝まで勝ち進んだことも、銀メダルを獲れたことも、もちろん嬉しかったし、大きな自信になりました。でも、もしメダルが獲れなかったとしても、僕はリオの時のような後悔はなかったと思うんです。やるべきことはすべてやり切った。そのうえでの負けなら仕方ないかなと。そう思えるほど、東京までの自分自身を誇りに感じています」

  2. Topic 02 “5年間”に手応えを感じたカナダ戦

    • 東京2020パラリンピックでは、全8試合中6試合で2ケタ得点をマークし、そのうち4試合でチーム最多得点挙げた香西選手。「すべてが厳しい戦いだった」というなか、最も強く印象に残っている試合は、予選プール第3戦のカナダ戦だ。

      コロンビア戦、韓国戦と開幕から連勝していた日本は、この試合に勝てば、3大会ぶりとなる決勝トーナメント進出がほぼ確定する大事な一戦だった。一方、連敗を喫していたカナダは後がない状況で、絶対に勝たなければならない試合だった。

      そのカナダが、前半は主導権を握り、30-19と大きくリードして試合を折り返した。

      この窮地を救ったのが、香西選手だった。後半の20分間、香西選手のシュートは炸裂し、カナダを猛追。第4Qの残り5分、この日4本目となるスリーポイントシュートで、ついに日本が逆転に成功した。そのリードを守り切った日本は、62-56で勝利を収めた。

      香西選手は、チーム最多の24得点。特に後半20分間の活躍は目覚ましく、スリーポイントシュート成功率は57%を誇り、21得点を叩き出した。

      しかし、香西選手自身はそうした数字に執着していない。彼が手応えを感じていたのは、チームとしての成長だった。

      「個人的な成績よりも、この試合はチームとしてそれまで積み重ねてきたことが発揮して勝つことができた一戦です。5年間という長い年月を僕たちはとにかく走って走って、体をいじめ抜いてきました。40分間、全員が走り続け、自分たちが目指してきたバスケットを最後の最後までやり切れたからこその逆転勝利だったと思います。“自分たちがやってきたことが間違いではなかった”と心の底から思えた試合でした」

  3. Topic 03 世界の強豪にライバルとして認められた日本の強さ

    • 過去のパラリンピックでは7位が最高だった車いすバスケットボール男子日本代表にとって、銀メダル獲得は大きな躍進だったことは間違いない。

      しかし、それは決して奇跡ではない。長期的なプランのもと、確実に、着実に、積み重ねてきた力が花開いたのが東京2020パラリンピックだったのだ。

      香西選手が“過去イチ悔しい大会だった”と語る2016年リオデジャネイロパラリンピックの時にはすでに、日本は変化の兆しを見せ始めていた。それまで日本に対して余裕を見せていた海外のチームが、リオの時には本気になって勝ちに来ていたことを、香西選手は試合中にひしひしと感じていたのだ。

      リオ後、日本はさらにその兆しを見せ続けてきた。2018年世界選手権では当時ヨーロッパ王者のトルコを撃破し、“大会最大の大番狂わせ”と言わしめた。また2019年アジアオセアニアチャンピオンシップス(AOC)では、オーストラリア、イランと強豪を立て続けに破ってみせた。

      しかし、やはりまだ強豪国と言われるチームは、日本を自分たちと同じレベルにあるライバルとして見てくれてはいない、香西選手は、そのことを敏感に感じ取っていた。

    • ところが、東京2020パラリンピックでは違った。例えば、トルコ。2018年世界選手権と同様に、東京2020パラリンピックでも死闘を繰り広げた末に日本が勝利をあげた相手だ。

      「世界選手権の時は、負けるはずのない日本に負けて相当悔しかったのか、試合後、握手さえも拒否されたんです。でも、東京パラリンピックでは、勝った僕たちに拍手を送ってくれました」

      さらに決勝トーナメントでは準々決勝で対戦したオーストラリアからも、初めてハイタッチの祝福を受けた。

      「オーストラリアはアジアオセアニア地域でずっとチャンピオンでい続けていて、パラリンピックや世界選手権でも世界一になった実績を持つ強豪。正直、日本なんか相手にしていなかったと思うんです。それが2019年のAOCに続いて東京パラでも日本に負けて、メダルへの道が途絶えた。これって相当悔しいことだったはずです。でも、彼らの方から握手やハイタッチをしてくれました。ある選手には“僕たちの分も頑張ってくれ”と言ってもらいました。日本が海外から認めてもらえた気がして、本当に嬉しかったです」

      今年1月には2024年パリパラリンピックに向けて、新たなスタートを切った車いすバスケットボール男子日本代表。東京2020パラリンピック後には世代交代が大きく進み、若手の台頭が目立つ。しかし、ベテランの一人となった今も香西選手は歩みを止めるつもりはない。

      「最近はケガも増えてきましたし、この先いつまでトップでやれるかは、正直わかりません。ただ代表として必要とされる限り、挑戦を続けていきたいと思っています。パリを目指してはいますが、とにかく1年1年“今日は今日の100%を出す”日々を送り続けていきます」

大会概要

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『東京2020パラリンピック競技大会』
 Tokyo 2020 Paralympic Games

開催期間:2021年8月24日(火)~9月5日(日)
競技数 :22競技
開催地:日本・東京
運営主体:国際パラリンピック委員会(IPC)
     東京2020オリンピック・パラリンピック組織委員会
競技数:22競技

陸上競技は8月25日から競技がスタート、最終日の9月5日まで熱戦が続いた。
会場は東京・新国立競技場とマラソンが東京の街なかで実施。

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