ATHLETES' CORE

人生を耕せば、成り立つ

加藤 耕也
ATHLETES' CORE

加藤 耕也卓球

加藤耕也選手の持ち味は闘志を前面に出した気迫あふれるプレーだ。昨夏の東京2020大会で待望のパラリンピック初出場。しかし、かつては人間関係に悩み、生きにくさを感じ心を閉ざした時期もある。先の見えない暗がりの中、再起の道を照らしてくれたのは卓球と、あるがままの自分を受け入れてくれた大切な仲間。加藤選手がパラリンピックを目指す意味と伝えたいことを伺った。

心を閉ざし卓球から離れた大学生時代

心を閉ざし卓球から離れた大学生時代
心を閉ざし卓球から離れた大学生時代

東京2020パラリンピックの終わりは、加藤耕也選手の新たな始まりを意味していた。
 2021年8月25〜27日に行われた卓球男子シングルス・クラス11(知的障害)の予選リーグ。加藤選手はアテネ2004大会とロンドン2012大会で金メダルを獲得した強敵ペテル・パロシュ選手(ハンガリー)と同じA組に入り、3人の総当たり戦で全敗。
パロシュ選手から最初の1ゲームを奪うなど積極果敢に戦ったものの、初めてのパラリンピックで予選リーグ敗退に終わった。

しかし、試合直後は、「パラリンピックの舞台に立てたことに感謝していますし、やり切った手応えはある。新たな扉を開けた気持ちです」と清々しかった。

そんな加藤選手が卓球を始めたのは中学校の部活動だ。高校は神奈川県横須賀市にある強豪校の三浦学苑高等学校に進学。厳しい練習環境でプレーを磨き、2年生のときには同校9年ぶりとなるインターハイ出場に貢献した。

 この頃の加藤選手は自身に障害があることを知らず、自分の言動が周りの仲間と少し違っていることに気がつかなかったという。「それでも部活動を続けられたのは先輩や同期、後輩、顧問の先生みんなが受け入れてくれたから」と懐かしそうに話す。
 ところが大学では環境が一変した。希望に満ちあふれて入部した卓球部で先輩後輩の上下関係に苦しみ、2年生で部活動を辞めてしまった。

「家から出られなくなり、大学もリタイアして……辛い時期でしたね。あの頃はとにかく気持ちを落ち着かせるのに精一杯でした」

周囲が自分に対して抱く違和感を、なぜ自分は感じ取れないのか? この先、一体どうなってしまうのだろう……。
そう思い詰める日々の中で加藤選手は必死にもがいた。そんな中、大好きな音楽に楽しみを見出し、あるバンドのライブに通うようになると、疲れ切った心が少しずつほぐれていった。

力をもらったロックバンドとの出会い

力をもらったロックバンドとの出会い

 心身の状態が落ち着くまで2年ほどを要した。その間、アルバイトはできるようになっていたものの、就職を心配した両親が知的障害の検査を受けることを加藤選手に提案。自身の特性を知り適職を見つけるためだった。
本人もこれに同意し検査を受けてみると、知的障害と診断された。

「初めて自分に障害があると知り、23歳で療育手帳を取得しました。この事実を一人きりじゃ受け入れられなかったかもしれないけど、好きなバンドのボーカルの子が『障害があろうがなかろうが、君は君だよ』と言ってくれて、どうにか受け入れることができました」

 そのバンドは「逆に、ゆうちゃんバンド」という。名古屋を拠点に活動する3人組のロックバンドで井水優菜という実力派歌手がボーカルを務める。加藤選手はライブに通ううち彼らと親しくなった。
彼らの楽曲の中で、とりわけ力をもらったのは『証』というナンバーだ。どんな自分であっても、くじけずに生きていくことの尊さを歌った応援ソングで、歌詞には「そのままの君が美しい」「傷だらけでもいい」「君が強く生きた証だ」などのフレーズが並ぶ。

 もう一度、ラケットを握ってみようと思えたのも「逆に、ゆうちゃんバンドと出会ったおかげ」と加藤選手は言う。
「やっぱり歌詞が心に響きますね。卓球も大学も挫折したけど、ありのままの自分でいいんだって、気持ちが楽になりました。東京2020パラリンピックに挑戦できたのも、いつだって本気で戦って後悔せずに生きられるかが、結果よりも大事なことなんだと教えてもらったからです」

パラリンピック本番も試合直前まで『証』を聴いて自身を鼓舞した。そして、そんな加藤選手の雄姿をバンドメンバーはもちろん、彼らのファンまでが応援してくれたそうだ。
「スポーツの枠を越えた繋がりの中でパラリンピックやパラ卓球に興味を持ってくれて、背中を押してもらえたことがすごく嬉しいです」

パリ2024パラリンピックに出て恩返しを

パリ2024パラリンピックに出て恩返しを
パリ2024パラリンピックに出て恩返しを
パリ2024パラリンピックに出て恩返しを

 加藤選手は目下、東京2020大会の雪辱と自分を応援してくれる人たちへの恩返しを胸に、次のパリ2024パラリンピック出場を目指して日夜練習に励んでいる。
 練習拠点は住まいのある神奈川県横浜市から片道2時間ほどかかる静岡県富士市の「REGAL(リーガル)」。ここは元女子日本代表で、現在は日本卓球協会ジュニア女子日本代表チームのコーチを務める山梨有理さんが経営する卓球クラブだ。
山梨コーチは元卓球選手の福原愛さんや平野早矢香さん、東京2020オリンピック女子団体銀メダルなど輝かしい実績を持つ石川佳純選手らと2011年世界選手権ロッテルダム大会に出場した名選手である。

「2020年7月からお世話になっていて、今は週4、5日のペースで通っています。移動時間はかかりますけど、世界を知っている山梨コーチに指導していただける恵まれた環境です。山梨コーチの指導を受けるようになって一番変わったのは体格。ダッシュのような無酸素系や重たいボール(メディシンボール)を使ったトレーニングが増えて体が一回り大きくなり、体幹もしっかりして打球スピードとパワーが向上しました」

 山梨コーチのもとで自身のプレースタイルを確立できたことも大きい。
山梨コーチによれば、「加藤くんは基礎はできていたんですけど、プレーのダイナミックさや俊敏さという点で、どことなく中途半端だった」とのこと。そこで、二人で話し合い、身長172cmと男子選手にしては小柄な体格を生かし、世界最強国の中国の女子選手を参考にしながら、前陣速攻のプレースタイルを作っていこうと決めたという。
 前陣速攻とは卓球台からあまり離れず、ピッチの速さで勝負するスピード重視の戦型だ。

 加えて、29歳という年齢もあり体力を消耗しやすい加藤選手は日々の練習や試合後のリカバリーも課題だったため、山梨コーチによる食事指導でもスタミナ不足を補うようになった。
 他にも「世界で勝つためにやらなければならないことは山積み」と山梨コーチ。加藤選手本人も「自分を追い込んで、次の日はもっと追い込んで、一つ一つクリアしていくのが目標」と闘志を燃やしている。

 競技の一方で、東京2020パラリンピックを機に学校からの講演依頼が増えた。本来、人前で話すのは得意ではないが、「人には伝えにくい障害があったり、生きにくさを抱えて悩んでいる子たちに声をかけ応援するつもりで話しています。自分の経験が何か一歩踏み出すきっかけになってくれれば思うから」と加藤選手。

 そんな加藤選手が、もし大学生の頃の自分に声をかけるとしたら、何と言うのだろう?

「よく耐えてくれたなと言うかな。あと、耕也という名前には『耕』と『也』の文字があるから、自分の人生を精一杯耕せば、そこにいろんな人の応援という肥やしが撒かれ、自分の根を張ることができる。そうして人生は成(也)り立っていくよ、と伝えたいですね」

PROFILE
  • Profile image.

    加藤 耕也(かとう こうや)

    1993年2月16日生まれ。神奈川県横浜市出身。
    あいおいニッセイ同和損害保険 所属。
    中学1年生で卓球を始め、強豪校の三浦学苑高校で活躍。
    大学2年生のとき卓球から離れるも、約2年のブランクを経て卓球を再開。
    2018年、FIDジャパン・チャンピオンシップ卓球大会1位。
    同年、FIDジャパン・チャンピオンリーグ1位。
    2019年、あいおいニッセイ同和損害保険に勤務しながら、
    パラ卓球選手となる。
    2021年、東京2020パラリンピック世界予選トーナメント(スロベニア)優勝。
    同年、東京2020パラリンピック出場。予選リーグ敗退。
     

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