ATHLETES' CORE

見せ続けていきたい強い姿

鳥海 連志
ATHLETES' CORE

鳥海 連志車いすバスケットボール

17歳でパラリンピックデビューし、2度目の出場を果たした東京2020パラリンピックでは、その名を世界に轟かせた鳥海連志選手。初戦でいきなりトリプルダブル(15得点、16リバウンド、10アシスト)を達成するなど、銀メダル獲得の立役者の一人となった。東京パラリンピック後にIWBF(国際車いすバスケットボール連盟)が行ったアンケートでは、男子のMVPに選ばれるなど、大きなインパクトを与えた鳥海選手。どんな人生を歩み、そして何が彼をここまで押し上げたのか。今や車いすバスケットボール界で世界が注目する選手の一人となった鳥海選手のバックグラウンドに迫る。

※トリプルダブル…一人の選手が1試合で得点、リバウンド、アシスト、スチール、ブロックショットのうち3項目で2ケタをマークすること

貫き通したスタメンへのこだわり

貫き通したスタメンへのこだわり
貫き通したスタメンへのこだわり

「よし、勝ち取った……」
2021年8月26日。車いすバスケットボール男子日本代表は、東京パラリンピックの初陣を迎えていた。試合前には、京谷和幸ヘッドコーチ(HC)から先発メンバーが発表された。そこに自分の名前があることを確認した鳥海選手は、心の中でそっと5年越しの雪辱をかみしめていた。

リオパラリンピックに続いて、2度目の出場となった東京パラリンピック。鳥海選手には、必ず成し遂げたいことがあった。リオでは一度も叶えられなかった、先発メンバー5人に入ることだった。

「“12人全員が主力”ということが、僕たち日本の強みであったし、実際に誰が出ても強いチームであったと思います。でも、やっぱりスタメンにはHCが最も信頼する5人が選ばれると思うんです。リオでは、その信頼が僕にはありませんでした。だから東京では、絶対にそういう選手でありたいと思っていたんです」

先発の座を勝ち取るために、さまざまな努力を積み重ねてきた。トレーニングでスタミナを強化、持ち味のスピードやクイックネスにも磨きをかけた。さらに車いすの高さをリオからの5年間で約20センチも高くした。ゴール下でのポストプレーやリバウンドなど、インサイドにも強い選手になることで、チームの中での存在価値を高めることが狙いだった。

「車いすを高くすることは、大きな挑戦でした。僕は両脚がない分、下の重心が軽く、車いすが高いと体が振られやすくなるんです。それで周囲からはチェアスキルが落ちるのではという声もありました。でも、僕は高さという新しい武器が、可能性を広げると考えていました。だからチェアスキルが落ちないように、誰よりもトレーニングを積んできたんです」

磨いてきたのは、個のスキルだけではなかった。チーム競技の車いすバスケットボールでは、いかにコート上の5人の息が合っているかが重要だ。特に「ディフェンスで世界に勝つ」をテーマとする日本においては、5人の“合わせ”がカギを握る。そのため、鳥海選手は自分とよくラインナップ(5人の組み合わせ)を組む川原凜選手や秋田啓選手と、他のラインナップに負けないコンビネーションを作り出そうと意識した。

「お互いにどんなプレーをしようとしているのか、周りに何を求めているのか、ということをよく話すことで共通認識を増やし、連携を高めていきました。HCが考えているバスケットを、僕が入ったラインナップでしっかりと遂行し、信頼を置いてもらえるかが僕にとって大きなテーマでもあったんです」

その結果、東京パラリンピックでは全8試合中7試合で先発出場。鳥海選手のチェアスキルは落ちるどころか、さらに磨きがかかり、なかでも持ち味のクイックネスやスピードは世界を魅了した。

競技人生の分岐点となった2017年

競技人生の分岐点となった2017年
競技人生の分岐点となった2017年
競技人生の分岐点となった2017年

鳥海選手は「やりたい」と思ったことに対して自分にブレーキをかけることはない。まずは挑戦してみて、できなかったら他の方法を模索することを繰り返してきた。そんな人生の基盤ともなっているマインドは、0歳から小学校入学までの6年間通い、他の子どもたちと一緒に思い切り遊び回った「菜の花保育園(現・こども園)」で築かれたのではないか、と分析する。

「両親が撮影してくれたビデオを見ると、すごく元気に伸び伸びと動き回っている様子が、自分が見ていても伝わってくるんです。“あぁ、本当にいい環境だったんだろうなぁ”と。そして今の自分の原点は、ここにあるんだろうなという気がするんです」

一方、幼少の頃から飽きやすい性格でもあった。体を動かすことが一番好きで、小学校ではサッカーや野球など、さまざまなスポーツを楽しんだ。しかし、どれも長くは続かなかった。

ところが、中学1年から始めた車いすバスケットボールだけは違った。やればやるほど楽しくなり、「もっとうまくなりたい」という気持ちが芽生えた。だから放課後や週末は、友だちと遊ぶことよりも、練習に通った。そんなことは、人生で初めてのことだった。

「僕は日常では車いすを使っていないこともあって、競技用車いすで真っすぐに走ることも難しかった。車いすを操作しながらのドリブルはうまくできなかったですし、シュートはゴール下でさえも届きませんでした。何もできないゼロの状態から始めたから、熱量が続いたのだと思います」

しかし、車いすバスケットボールへの興味が一気に冷めたことがあった。高校3年生の夏に初めて出場した2016年リオパラリンピック後のことだ。

「5年もの間、練習して、リオには出場はしたものの、僕はまだ日本代表の中で主力になれていなかったし、自分が世界レベルに達していないことを痛感したんです。しかも、日本は9位という成績に終わって。虚しさみたいなものが残りました」

リオ後、鳥海選手は車いすバスケットボールから離れ、それまでできなかった友人との時間を大切にして過ごした。

しかし、翌2017年にU23世界選手権を控えていた男子U23日本代表チームで、副キャプテンに任命され、キャプテンの古澤拓也選手とダブルエースとして大きな期待が寄せられた。奇しくもその年、鳥海選手は高校を卒業し、日本体育大学に進学するために地元・長崎県から古澤選手が住む神奈川県に移り住んだ。所属するクラブチームも古澤選手と同じ「パラ神奈川SC」に移籍。クラブチームでもU23日本代表でも、同士となった古澤選手と一緒に世界を目指すという状況が、鳥海選手の車いすバスケットボールへの熱量を再び高めていった。

「もし、リオの翌年にU23世界選手権もなくて、タクちゃんと同じチームにも移籍していなかったら、あのまま車いすバスケットボールを辞めていてもおかしくはなかったと思います」と鳥海選手。さまざまな偶然が重なった2017年は、彼の人生にとって大きな分岐点だった。

東京までとは違うパリまでのプロセス

東京までとは違うパリまでのプロセス
東京までとは違うパリまでのプロセス

鳥海選手は目標達成のために大事にしていることがある。「ロジック」だ。

いつまでに何を成し遂げたいのか、そこから逆算をして、いつ何をすべきか、筋道を立てていく。そうした思考を持つようになったのは、ある人の存在の影響が大きいという。

前車いすバスケットボール男子日本代表HCの及川晋平氏だ。2014年、16歳だった鳥海選手を初めて日本代表候補の強化合宿に呼び、粗削りだった高校生を日本代表の主力にまで引き上げた人物でもある。

「晋平さんは、結果を出すためにどうしていくか、その過程の組み方がすごくうまい人なんです。リオに向けての時期にも晋平さんから学んだことはたくさんありましたし、リオ後に僕が関東に出てきてからは、さらに話す機会が増えました。そうしていくうちに自然と自分もロジックを組み立てることを大事にするようになったんです。僕をこういう考え方の人間にしたのは、誰でもない晋平さんです」

そんな鳥海選手が、次に目指すのは、パリ2024パラリンピックで結果を出すことだ。では、今、どんな筋道を立てているのだろうか。

「東京パラリンピックでは、とにかく本番で結果を出すことが大事だと思っていました。だから、その過程では勝敗よりも内容にこだわってきたんです。でも、東京で銀メダルを獲得した僕たちは、それまでとは注目度も変わったと思います。とはいえ、チームがどんな状態でも応援したい、と思ってもらえるような段階にはまだ来ていなくて、僕自身も日本代表も、今は強い姿を見せ続けることで注目されている気がします。だから結果を残し続けていかなければいけない。パリで勝てばいいではなく、勝ち続けたうえでパリでも結果を残すことが大事。僕は、そう思っています」

パリパラリンピックまで2年。信頼できる仲間と共に、強い日本を築いていくつもりだ。

PROFILE
  • Profile image.

    鳥海 連志(ちょうかい れんし)
     
    車いすバスケットボール・2.5クラス/WOWOW所属、パラ神奈川SC所属
    1999年2月2日、長崎県生まれ。
    生まれつき両手足に障がいがあり、3歳のときに両下肢を切断。
    中学1年から車いすバスケットボールをはじめ、
    2013年にはアジアユースパラゲームズに出場し、銀メダルを獲得。
    2014年に日本代表候補の強化合宿に初招集され、
    翌年のアジアオセアニアチャンピオンシップスで代表デビュー。
    2016年リオデジャネイロパラリンピックに出場。
    2017年には男子U23世界選手権でベスト4進出に貢献し、個人賞オールスター5に選出。
    東京2020パラリンピックでは8試合中7試合に先発出場するなど、銀メダル獲得に大きく貢献。
    現在は、男子日本代表のオフコートリーダー、パラ神奈川SCのキャプテンを務める。
     

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