フジコーワ工業株式会社は、第二次世界大戦中、陸軍指定工場として金属製コンテナーを供給してきたルーツを持つ。同社が展開するブランド「PROTEX」シリーズの製品をベースに、技術者たちの手によって製作されたボッチャ専用のボールケースは、2016年のリオ大会で日本選手団の銀メダル獲得に貢献した。今回は、そのボールケースの開発に携わった技術者の竹村さんを中心に、当時のエピソードや、同社のパラスポーツへの関わりについてお話を伺った。
法人向け事業で培った技術力を活かし、一般消費者向け製品を展開
当社の事業は軍用の金属コンテナーの生産に始まり、その後はテレビ局のカメラ器材や電機メーカーの精密機械用のケース、商業用の大型コンテナーなど、’80年代までは業務用製品を扱う法人向けの事業がほとんどでした。当社はその中で、お客様の定める高い品質基準や細かい要求に応え、様々な特殊案件を積み重ねていくことで技術レベルを高めてきました。
ある時個人のお客様が、業務用に使われていた当社の樹脂ケースをダイビング器材の保管・運搬用に転用し、その分野で評判になりました。そこで、きちんとしたブランドをつくってBtoC向けに売り出してみようということになり、’89年に立ち上げたのがPROTEXです。現在では、当社を代表するブランドとして一般の方々に広く認知いただいています。
スーツケースメーカーの競合他社は多いですが、当社のようにBtoBのバックボーンを持ちながらBtoC製品を展開しているところは国内にはないと思います。
「運搬時にボールにかかる負荷を極力排除したい」という要望
当社と以前からお付き合いのあった、日本スポーツ振興センターの渋谷さんという方が、ボッチャ協会さんのパフォーマンス分析担当になられたことがきっかけでした。
ボッチャのボールは主に皮革製で、大きさは周囲270±8mm以内、重さは275±12g以内という規定があります。選手たちはその範囲内で中身のペレットの量を変えるなどしてグラム単位で調整を行うのですが、遠征時にボールが機内の貨物室で一度凍った後、現地到着後に溶けた水分を吸って重さが変わってしまったり、気圧の変化で大きさが変わってしまったりして、大会での用具検査に通らず使えなくなってしまうということが何度かあったそうです。協会さんが対策に悩んでいた頃、その話を聞いた渋谷さんがPROTEXを紹介してくださったんです。軽量で堅牢なPROTEXシリーズは防水で気圧調整弁もついており、外部環境の変化に強いため、課題解決にはぴったりでした。そうした既存の性能に加え、ボールを潰さずにできるだけ真球の状態を保って持ち運べるようにできないかという要望があり、52個のボールを収納できる日本選手団専用のケースの内装を、リオ大会までの一か月という短期間で開発することになったのです。
絞り出した知恵を、積み上げた経験と技術で製品に落とし込む
開発の話が来た時は「ボッチャって何??」というところから始まりましたが、「パラリンピックに持って行く大事なケースを製作するんだ、間に合わせるんだ!」と夢中で取り組みました。一方で、普段収納物の形状に合わせてウレタン等の素材を加工する内装設計をさせていただくのは、とても繊細に扱わなければならない高性能なカメラや精密機器の類なので、どうして投げたり転がしたりするボールにPROTEXのケースが必要なんだろう、という疑問があったのも事実です。そこからボッチャ協会の強化部長、村上さんからのお話を聞いて、技術部門みんなでボッチャのことを一つ一つ勉強していきました。ボールには硬さや大きさの違う色々な種類があり、遠征先のその土地土地の気候風土に左右されてしまう繊細なものであること、だからこそボールをいつもと同じ状態に保って運べるかどうかが試合の結果を大きく左右すること等々…。そうして、それぞれ微妙に調整された大事なボール全てを収納するために、ウレタンを球状にくり抜くことにしたんです。
ただ、過去に丸(円柱状)はあっても球の形状に対応した経験がなく、この点が製造側で大きなネックになりました。時間がなかったため専用の刃を発注することもできず、その時社内でできる加工方法で対応するしかない状況で…。そんな中、設計も製造も混じって、みんなで知恵を絞って意見を出し合った結果、最終的に考えついたのが、円の大きさを微妙に変えながら深さを階層分けしていき、細かい階段状に削ることで球に近づける方法だったんです。具体的には外形で4mm、深さ方向で3mm以下、段差で20段を基準に部分試作を行い、収納状態・外観上最良の形状を見つけて製品化していきました。
こうして、短時間かつ限られたリソースの中で何とかリオ大会に間に合わせることができました。それができたのは、これまで多様なニーズにきめ細かく応えてきた当社の経験と技術があったからこそだと思います。また、設計から完成までの工程に関わる部門が一カ所にあるため、担当者同士が常に行き来して相談や話ができること、試作・修正・生産すべてを自社で対応できる環境があることも、当社の強みだと改めて感じました。
選手にとって大切な用具を“ベストな状態で”運搬する
当社にはかねてからパラスポーツを支援したいという想いがあり、ボッチャ以前にもチェアスキーやパラカヌーの物品サポートも行ってきました。学生時代に選手経験のある社長の盛谷曰く、力に満ち溢れた選手たちにお会いすると、純粋に「すごいな」、「応援したいな」という気持ちになるからなのだといいます。
リオからの帰国後、選手や協会の方々が遠いところこの工場までいらしてくだいました。現地で海外の方々が興味津々でケースを見に来る場面もあったとかで、その話を聞いただけで「どうですか!これが日本ですよ!!」と鼻高々な気分でした。けれどそれ以上に、「このケースのおかげでメダルが獲れた」という言葉をいただいたことが、本当に嬉しかったです。私たち技術部門は、窓口の営業と違って距離が遠い分、普段お客様から直接感謝の言葉をいただくことはほとんどないですからね。あとはテレビ等でボッチャが取り上げられると、自分もボッチャチームの一員のつもりで、嬉しい気持ちになります。「私たちがこのケースを作ったんだよ」と、家族や周りの人たちに話すこともできました。一技術者として、選手にとって大事なケースの開発に携われたこと、お役に立てたことを本当に誇らしく思っています。
また、今回リオ大会に必要な52個のボールを収容する日本選手団用のケース1つで終わると思っていたものが、その出来栄えを高く評価していただき、ボールを13個収納できる個人用ケースの製作や、ボッチャ協会公認での販売にまで話が広がっていきました。それだけ皆さんに喜んでもらえる製品をつくることができたのだと実感し、みんなで努力した甲斐があったなと感じています。
パラスポーツでは用具にこだわることはあっても、どうしてもケースは後回しになってしまい、梱包によっては現地に着いたら壊れていたというトラブルも多いと聞きます。今回ボッチャ日本代表がメダルを獲ったことで、ありがたいことにケースも当社も日本国内にだいぶ知れ渡ったようです。これを機に、選手にとって大切な用具を「“ベストな状態で”運ぶ」ことの重要性を、実績を増やして広めていきたいですね。こうした形で、これからも色々な競技をサポートしていけたらいいなと思っています。
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竹村 寛子(たけむら ひろこ)
群馬県生まれ。前橋市立工業短期大学(現 前橋工科大学)卒業。
2007年にフジコーワ工業(株)入社
入社から現在まで、各種ケースの設計開発業務に携わる。
2016年 リオパラリンピックのボッチャ日本選手団用ボールケース、
2017年 個人用ボールケースの設計を担当。 -
<インタビュー協力>
左から
山本 晋(やまもと すすむ ):玉村工場 製造部 設計近代化推進課 課長
茂木 清美(もぎ きよみ ):玉村工場 製造部 部長
五百木 准士(いおき じゅんじ ):本社 営業部 係長 -
所属先:フジコーワ工業株式会社
設立:1963年4月
所在地:東京都世田谷区新町3-23-3
事業内容:アルミケース、アルミトランク、ハードケース、キャリングケース の製造
URL:https://www.fujikowa.co.jp/