ATHLETES' CORE

世界で誰も実現していないことを

富田 宇宙
ATHLETES' CORE

富田 宇宙競泳

 東京2020パラリンピック競技大会の競泳男子(視覚障害クラス)で銀2つ、銅1つのメダルを獲得した。当然、周囲は「パリ2024パラリンピックで金メダルを」と期待するが、富田宇宙選手は「メダルの色にはこだわっていない」と言う。競泳をやっているのは自分自身を成長させたいからであって、金メダルを取れたら幸せになるわけではない。そして、「そもそも、金か銀かなんて、僕にはメダルの色もわからないですから」と笑う。東京2020大会が終わった後、自らの新たな可能性を見つけるためにスペインに旅立ったという富田選手に迫った。

「カラッカラ」の自分を知るために

「カラッカラ」の自分を知るために
「カラッカラ」の自分を知るために

「人が何かを学ぶプロセスってよくスポンジに例えられるんですけど、スポンジは乾いていないと水を吸い込めないですよね。パラリンピックまではどちらかというとひたすらに水をかけられるような環境だったわけですが、そればかりもよくないなと思ったんです」

 東京2020大会の後、新たにスペインにトレーニングの拠点をつくった富田選手は、その違いを実感している。日本では見落とされがちな"カラッカラにする"メソッドを身をもって学ぶために、あえて異国の地での修行を望んだ。水をいかにかけるか、つまり何をどう鍛えるかに加え、いかに乾かすか、どうモチベートするのかという視点を取り入れたかった。

 新しい拠点では、新鮮なことばかりだという。スペインでは、富田選手が街を歩いていると、街の人が我先にと声を掛けてくれる。電車に乗れば、知らない人が目的地を聞いてきて「一緒に行こう!」と言ってくる。駅や公共施設のハード面でのバリアフリー化は日本の方が進んでいるのに、スペインの街中で困ることは少なかった。視覚障害者が生活をする中で「誰かにお願いして手伝ってもらっている」という感覚をほとんど感じないと富田選手は言う。

「日本だと点字ブロックがあるし、電車も毎回同じ位置にぴったり止まるから一人で乗れる。でも、スペインでは乗り込む時の段差も大きいし、急に運行予定が変わって『乗り換えて』なんて言われると、一人じゃどうしても無理なんです。どっちの国が素晴らしいということではなくて、バリアフリーにも多様性があっていいんだなと感じています」

東京2020大会のパラトライアスロン女子(視覚障害)で金メダルに輝いたスペインのスサナ・ロドリゲス選手の本業は医師だ。彼女も自然と街の中に、社会に溶け込んでいる。いろんなパラアスリートがいることに新鮮な驚きを感じた。

 そしてトレーニングを始めると、コーチの選手に対する関わり方にも違いを感じた。富田選手は言う。

「僕のコーチをみていると、その時の選手の状態で練習内容を決めているのかなと。『ちょっとこれやってみて』とまずはやらせてみて、選手を観察し、次に何を提案するか考えていく。気候がいいから気持ちよく、トレーニングはいつも屋外、練習中はノリのいい音楽が流れている。プールサイドにカフェバーがあるのでコーチは大体そこでコーヒーを飲みながら選手を見ています」

文化が違う異国の地での体験

文化が違う異国の地での体験
文化が違う異国の地での体験
文化が違う異国の地での体験

 富田選手いわく、競泳は孤独な競技だという。目が見えないうえに、プールに入ると音も聞こえない。壁が近づくと、ターンの合図を知らせるタッパーがタッピング棒(釣り竿を改造した長い棒)で勢いよくスイマーの頭や身体を叩いて指示を出す。練習では毎日、それを数時間ひたすら繰り返す。

「スペインでは『楽しんで練習することがパフォーマンスの向上につながる』という基本的なコーチング理論が浸透しているように感じます。日本では、いまだに『練習を楽しんではいけないもの』という雰囲気が流れているスポーツの現場もたくさんあって、そこは大きな違いですね」

日本では、海外ですでに常識化している”カラッカラにする”プロセスを実践する環境は見当たらなかった。そのノウハウが、スペインでのトレーニングでは実践されていた。

 全く文化が違う異国の地での体験は、自らのこれまでの環境を客観視する視点も与えてくれる。スペインで過ごすことで、日本の良さもあらためて実感している。

「体のメンテナンスや食事の管理においては、日本の方がきめ細かいと感じる。そして時には、理論的に設定された目標タイムを、緻密なインターバルの中で繰り返すような日本らしい練習も必要です。今は、1年間の半分をスペインでトレーニングしていますが、スペインと日本のいいとこどりができればいいと思っています」

 水の中での練習だけでなく、陸上トレーニングも大きく変えた。これまでは、関節の可動域や筋肉の柔軟性、身体の操作性を改善していくコンディショニング系のトレーニングが中心だったが、より高い負荷をかけて筋力アップを図って筋出力を高めていくストレングス系のトレーニングの割合を増やした。

「僕は、泳ぐ時に手のひらで水をつかむのが得意ではないので、腕の回転数を上げることで補ってきたんです。そこを技術的に改善したことで、腕の一回転、足の一蹴りあたりで捉える水の量が増えてきています。それにあわせて出力も大きくしていく必要があるんです」


 富田選手は、トレーニングの目標として「体重を何キロ増やす」「筋肉量の割合を高める」といった数字的なものは掲げていないと言う。あくまで必要なのは自分自身の「感覚」で、それを大切にしていきたいと考えている。泳ぎの技術面でも同じだ。

「泳ぎのフォームやタイミングは常に改善することを心がけています。例えば、自由型では、僕は右腕の方が水をとらえやすくて、これまで左腕はあまり機能していなかった。腕を回すときの身体の傾きを左右均等にすることで左腕でも“水をつかむ”ことができるようになってきていて、以前よりも大きな泳ぎに変わってきています」

金メダルより、どう生きてきたか

金メダルより、どう生きてきたか
金メダルより、どう生きてきたか

 今年6月に開催された世界選手権では、男子200メートル個人メドレー(視覚障害SM11)を2分28秒17で泳ぎ、自己記録を更新。11月の日本パラ選手権では男子100メートルバタフライ(視覚障害S11)で東京2020大会の同種目を上回る記録で優勝するなど、トレーニングの成果は結果として見え始めている。

 そうなると、2024年に開催されるパリ2024パラリンピック競技大会で金メダルを期待する声が高まる。だが、本人は「金メダルがなくても困ることはないですから」と、いたって冷静だ。

「2024年のパリ大会は競技人生の中で一つの節目になるとは思いますが、そこでの順位のために競技をしている、というわけではありません。どちらかというと満員の会場の中で自己記録を超えるところを見せたい、というのが目標です。もちろん、結果として一番いい色のメダルだと、応援してくれるみなさんにいっそう喜んでいただけるので、それが実現できたらうれしいな、とは思います」

 金メダルよりも富田宇宙という人間が、高校生で難病が判明し視覚を失いながらどう生きてきたか、そこにもアスリートとしての存在意義がある。他人と比較した結果にはとらわれず、自分自身を成長させるためにトレーニングを重ねている。スペインで経験したことは、積極的にインターネットやメディアを通じて公開している。それは、大舞台に立つまでのプロセスも多くの人に共有していきたいと考えているからだ。

 最近では、競技以外にも活動の場を広げている。その一つが、子どものころに憧れていた宇宙に行くという夢。目の病気が発覚したことで一度はあきらめていた。だが、今では、目が見えないからといってあきらめる必要はないと考えられるようになった。今年3月には、民間航空機を使った実験で無重力状態を体験した。「目の見えない人でも宇宙へ行ける」という可能性を示すことであらゆる人が自分の可能性を信じられるきっかけになりたいからだという。

富田選手の言葉には、世間一般の価値観から解放された独自の哲学がある。

「パラリンピックの意義とは、アスリートが活躍するだけではなくて、それと合わせて強いメッセージを伝えられるところにあると思うんです。そういう意味では、泳ぐことも宇宙に行くことも同じで、そのために努力しているだけです」

PROFILE
  • Profile image.

    富田 宇宙(とみた うちゅう)

    1989年2月28日生まれ。熊本県熊本市出身。
    EY Japan所属。
    宇宙飛行士を目指して九州の名門・濟々黌高校に進学も高校2年の時に網膜色素変性症が判明。
    日本大学卒業後はキヤノンソフトウェアに入社。システムエンジニアとして働く。
    2012年、パラ競泳を始め、
    2015年、日本選手権で男子400メートル自由形と男子100メートルの2種目でアジア新記録を樹立。
    2017年、日本体育大学博士課程に進学し、コーチング学を学ぶ。
    2021年、東京2020パラリンピック競技大会では、
    400メートル自由形(視覚障害S11)と100メートルバタフライ(同)で銀メダル、
    200メートル個人メドレー(視覚障害SM11)で銅の三つのメダルを獲得。

TOP