ATHLETES' CORE

レジェンドへの道を歩みはじめた「小さな巨人」

川除 大輝
ATHLETES' CORE

川除 大輝クロスカントリースキー

「金メダルを取ったアスリート」と言われると、どんな人を想像するだろうか。大舞台に動じない胆力、力強く自信にあふれた話し方、自らを冷静に分析できる……。いろんなタイプがいるが、北京冬季パラリンピック(2022年)のクロスカントリースキー男子クラシカル20km(立位)で金メダルを獲得した川除大輝選手は、そのどれにも当てはまらない22歳の好青年だ。しかし、その底力は計り知れない。川除選手は今、着実に「レジェンド」への道を歩み始めている。

金メダルの次の目標に向かって

金メダルの次の目標に向かって

 身長161センチ、体重は51キロ。同種目の選手と比べると小柄だ。それでも、体の中に秘めているエンジンの爆発力は誰にも負けない。川除選手は北京大会で日本選手団の旗手という大役をつとめ、冬季男子では史上最年少となる21歳で金メダルに輝いた。

 憧れの大先輩である新田佳浩選手は、98年の長野大会から7大会連続でパラリンピックに出場し、3つの金メダルを獲得した「レジェンド」である。その新田選手が打ち立ててきた数々の大記録を追い抜く可能性を持つ、唯一の存在である。

 だが、本人にはそれを気負う様子はまったくない。日々のトレーニングで体を鍛え、課題を少しずつ解決していく。その姿は、トップアスリートに共通した芯の強さを持っている。

 障害者ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)米国大会を目前に控えた今年2月の合宿では、一つのテーマを持っていた。

「前回のレースでは、上りのコースを走る時に、腰が丸まるような感じになってしまって。それだと体幹から力が逃げてしまう。そこを意識する滑りをしました」

 川除選手は、先天的に両手足の指の一部が欠損しているため、ポール(ストック)を持って走らない。「雪上のマラソン」と呼ばれるクロスカントリー競技にとって、第三、第四の足となるポールがないことの影響は大きい。

 その弱点をカバーするため、走る時は両腕を大きく振って推進力に変える。また、長濱コーチは川除選手について、「スキー版の真ん中にあるベント(たわみ)を使って、雪を踏み込む力が強く、その反動を使うことがうまい」と話す。

 ただ、スキーを経験したことのある人なら、ポールなしで雪の上り坂を登ることがいかに大変かは理解できるだろう。川除選手は「早く体を動かせるのが自分の強み」と言うが、それを可能にするのは人並外れた強い体幹と瞬発力があるからだ。

 6歳でいとこに誘われて地域のスポーツクラブに入り、クロスカントリー競技を始めた。出場するのはいつも一般の大会で、それでもめきめきと頭角を現した。パラスキーの大会に初めて出たのは中学2年生の時。オープン参加で、順位も覚えていないほどの惨敗だったが、その走りを見た海外の選手やコーチから「君はすごい!」と賞賛されたことがうれしくて、パラスキーの道を歩むきっかけになった。

名門・日本大学スキー部の仲間からもらった自信

名門・日本大学スキー部の仲間からもらった自信
名門・日本大学スキー部の仲間からもらった自信

 高校時代は、一般のスキーとパラスキーの両方で大会に出場した。高校総体にも出場し、卒業後は大学スキーの名門・日本大学スキー部に。同世代のトッププレーヤーと一緒に研鑽を積んだ。

「大学ではインターハイで優勝した経験がある選手もいるなかで、練習量も増えました。最初はケガもあって他の選手についていくことも大変でしたが、それも徐々に慣れていきました。一人だったら、たぶん大学で経験した練習量はこなせなかったと思う」

 金メダリストであるにもかかわらず、自らの実力に「今でも自信がない」という。そんな彼を変えてくれたのが、日大スキー部で出会った仲間たちだった。大学スキーの最高峰で彼らと一緒に過ごした日々が、パラスキーのトップレベルの選手たちと互角以上に渡り合える実力を得たことの根拠になっていった。

 パラスキーでは、実際に走り終わったタイムに対し、障害の程度に応じた係数をかけ、順位を決めてタイムにする。川除選手の場合、2本のスキーポールを持たないLW5/7で、雪上のコースにつかられた溝の上をスキーで交互にキックして進むクラシカル走法の種目だと実走タイムの80%、滑り方に制限がないフリー走法の種目だと90%となる。だからといって、試合やトレーニングで全くポールを持って走らないわけではない。むしろ、大学の練習では、ポールを使うことが多かった。

「一般の大会に出るためというのもありますが、あえてポールを持って走って、感覚を知っておくことが重要だと思っています。ポールを使うと体重を支える部分ができるので、重心の移動がスムーズになります。僕の理想としては、その時の重心移動を、パラスキーの時に再現したい。理想的な体重移動の仕方を、感覚として知っておきたいんです」

すべては「チャンスを活かす」ために

すべては「チャンスを活かす」ために
すべては「チャンスを活かす」ために
すべては「チャンスを活かす」ために

 大切にしている一つの道具がある。シューズの底に敷いているソールだ。川除選手は足の指にも欠損があり、それが原因でレース中にバランスを崩すことがよくあった。

「左足に土踏まずがないので、一般的なシューズだと、走っている時に膝が内側に動いてしまって、倒れてしまうんです。以前はどうしても左足が体から離れていく難しさがありました」

 自分なりにシューズに工夫してレースに出場していたが、高校生の時にアシックスのシューズ担当者が、川除選手の足の形にぴったりの特注ソールを製作してくれた。「このおかげで、スキー板にしっかりと体重が乗せられるようになった」という。ただ、特注ソールの製作は試行錯誤の連続だったため、完成したのは1つのみ。それを、今でも大切に使い続けている。

 川除選手は派手なことは好まない。サイン色紙に言葉を添えるようにお願いされた時も、難しい言葉は使わずに「チャンスを活かす」とだけ書く。

 その言葉の内側には、北京の経験もあった。クロスカントリースキーでは、スキー板の先端には滑らせるための、中央部には逆に滑り止めのワックスを塗る。ワックスの種類の選び方と塗り方のさじ加減が勝敗を分ける。北京大会では、当日の天候や雪の状況に合わせ、コーチらと相談して決めたワックスが、ピッタリとあった。チャンスがやってきたのだ。

「8年の平昌パラでは9位で悔しかったけど、北京パラリンピックでは、金メダルを取れるチャンスが自分にやってきて、活かすことができました。深い言葉を書くよりも、シンプルな方が好きなんです。これからもチャンスを確実に活かせるようにしたい」

 合宿を終えた後、川除選手は3月の障害者ノルディックスキーのワールドカップ米国大会で20キロフリー(男子立位)で優勝。年間の総合優勝にも輝いた。北京パラに続き、再びチャンスをつかんだ。川除選手は、日本障害者スキー連盟を通じて「目標だった総合優勝に手が届いて、とても嬉しい。何回でも優勝できる選手になれるようにさらに頑張りたい」とコメントを発表した。

 レジェンドへの道は、まだ始まったばかりである。

PROFILE
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    川除大輝(かわよけたいき)

    競技クラス:LW5/7:両上肢機能障がい
    2001年2月21日生まれ。富山県富山市出身。
    6歳の時にクロスカントリースキーを始める。小学1年生の時に新田佳浩選手と出会う。
    パラリンピックでは、18年の平昌大会に初出場したが、ロング20kmで9位、ミドル10kmで10位。
    2022年北京パラリンピックでクラシカル20km(立位)で金メダルを獲得した。

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