ATHLETES' CORE

転機となった2つの“決断”

辻 沙絵
ATHLETES' CORE

辻 沙絵陸上(短距離/中距離)

2016年7月8日、日本パラリンピック委員会(JPC)は、リオデジャネイロパラリンピック代表選手の二次発表を行った。そこに、彼女の名前もしっかりと刻まれていた。日本体育大学4年生の辻沙絵選手だ。ハンドボールから陸上に転向して、わずか1年半でのパラリンピック出場。しかも、彼女はれっきとしたメダル有力候補の一人である。その背景には、彼女のある2つの大きな“決断”があった。

金メダルへの思いを募らせた先輩の雄姿

金メダルへの思いを募らせた先輩の雄姿
金メダルへの思いを募らせた先輩の雄姿

「やっぱり金メダルを取るってすごいことなんだなぁ」
 センターポールに日の丸が掲げられ、スタジアムに国歌が流れる――8カ月前、目の前で繰り広げられた光景を、辻選手は今も鮮明に覚えている。それが、彼女の“アスリート魂”を揺り動かすきっかけとなった。

 2015年10月26日、世界選手権(カタール)5日目のその日、男子走り幅跳びでは山本篤選手が見事、優勝。表彰式で金メダルを首に下げ、誇らしげに表彰台の中央に立つ山本選手。その姿に、彼女の心は熱くなっていた。

「日の丸を見ながら、国歌を聞いている篤さんを見て、金メダリストてやっぱりかっこいいなって思ったんです。そして、私もああいうふうになりたい、と心から思いました」

 しかし、現実はそう甘くはなかった。当時メインとしていた100mで、辻選手は決勝に進出し6位入賞。陸上を本格的に始めて半年余りということを考えれば、決勝進出は快挙と言っていい。だが、辻選手にとっては、落胆こそすれど、喜びはほとんどなかった。6位という結果に、世界トップとの距離を感じていたのだ。

 そこで、彼女はある決断をした。短距離から中距離へのメイン種目の変更だった。
「400mのレースを見ていたら、トップの選手だけがずば抜けて速くて、2位以下は団子状態だったんです。そこでランキングを見ると、60秒を切っていたのはわずか2人。しかも、56秒台と59秒台。3位以下は、60秒を切っていなかったんです。これはいけるかもしれない、と思いました」

 実は辻選手は、中学時代に陸上大会に駆り出されたことがあった。出場したのは800m。そのため、中距離への抵抗はなく、どちらかというと自信を持っていた。
「練習さえすれば、必ず60秒を切ることはできる。そこからは努力次第だ」
 迷いなど、一切なかった。「金メダルを取りたい」。その一心での決断だった。

顧問のひと言から始まった陸上人生

顧問のひと言から始まった陸上人生
顧問のひと言から始まった陸上人生

 辻選手はもともと、ハンドボールの選手だった。小学5年生の時、友人たちと一緒に始めたハンドボールは、運動能力が高く、負けず嫌いの辻選手にはピッタリのスポーツだった。中学卒業後は、地元の北海道を離れ、茨城県の強豪校へ。2年時にはインターハイでベスト8に進出した。そしてスポーツ推薦で日本体育大学に進学。まさにハンドボール漬けの青春時代を送ってきた。

 しかし、それはケガとの戦いの日々でもあった。中学、高校と計3回も膝の前十字靭帯を断裂し、手術を行ってきた。医師からは「もう一度同じ部分を痛めたら、ハンドボールはできなくなるぞ」と言われたという。それでも迷うことなく大学でもハンドボール部に入ったのは、ただひとつ。「ハンドボールが好きだから」だった。

 そんな彼女が、パラ陸上に転向したのはなぜだったのか。きっかけは、ハンドボール部の顧問のひと言からだった。
「パラリンピックを目指してみたら、どうだ?」
 2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定した直後のこと。顧問の先生にしてみれば、辻選手の身体能力があれば、きっと東京パラリンピックで活躍するに違いないという期待を持っての提案だったに違いない。

 しかし、辻選手にとって、その言葉はまさに青天の霹靂。あまりの衝撃に、驚きとともに憤慨した。
「これまでずっと、ハンドボールで頑張ってきて、これだけのプレーができている私が、どうして今さら障がい者の大会に出なければならないの?」

 生まれつき右腕の肘から下が欠損しているが、辻選手は勉強も運動も、すべて他の友人と同じようにやってきた。そんな自分を一度だって「障がい者」と思ったことなどなかった。その自分が、なぜ今になって、パラリンピックを目指さなければならないのか。辻選手には、理解することができなかった。

 しかし、よくよく考えてみると、パラリンピックに出場し、世界を知るということは、教師を目指している自分にとってプラスとなるかもしれない、と思えた。
「自分が体験した世界の舞台を話すというのは、子どもたちにもとてもいいことだなと思えたんです」

 そこで、大学で行われた身体能力テストを受けると、瞬発力に優れていることがわかった。その瞬発力を生かせる競技として、陸上ということになったのだ。

 辻選手は言う。
「東京パラリンピックの開催が決まったということが一番大きかったと思いますが、今思えば、顧問の先生はケガの多い私のことを心配していたことも理由の一つだったと思います。既に膝の靭帯を3回も切っていたので、次に切ることがあれば、選手生命が断たれる可能性もあるということは、先生も知っていたんです。そう考えると、あの時の言葉はありがたかったなと思います」

金メダル獲得のための決断

金メダル獲得のための決断

 当時の辻選手は、走ることはあまり好きではなかったという。しかし実際、陸上を始めてみると、走るという動作にもさまざまな技術や要素が詰まっていることがわかり、奥深さを知れば知るほど、面白さを感じるようになっていった。陸上に魅力を感じるのに、そう時間はかからなかったという。
「やるからには上を目指したい」
 そんな気持ちが自然と湧き出て、徐々にパラリンピックへの思いを強くしていった。
 しかし、それでもハンドボールを辞める気にはなれなかった。そのため、ハンドボール部と陸上部を掛け持ちすることになり、学生寮に戻る頃には一滴も体力は残されていなかった。

「正直、もうヘトヘトで限界でした。体力的にはもちろんでしたが、それ以上に精神的にきつかった。性格的に、やるならとことんやりたいタイプなんです。なのに、ハンドボールも陸上も中途半場な感じで……。『これではダメだ』とわかっていましたが、それでも10年以上、人生を懸けてきたハンドボールを辞めるという決断は、なかなかできませんでした」 

 そんな彼女の気持ちを変えたのが、前述した世界選手権だった。
「金メダルを取った篤選手の姿を見て、私もあの金メダルが欲しい、と強く思ったんです。だったら、本気でやらなければダメだと。もちろん、ハンドボールが好きであることに変わりはありません。でも、今自分がやるべきこと、一番やりたいことは何なのかを考えた時、パラリンピックで金メダルを取ることだと。そうであるならば、陸上一本に絞ろう。そう決心しました」

 現在、400mで世界ランキング3位。金メダルは届かぬ夢ではない。辻選手は言う。
「昨年の世界選手権は、一番大切なものに気づかせてくれ、大きな決断をさせてくれた。あの大会があったからこそ、今があると思っています」
 今やリオは、東京へのステップとは考えていない。目指すは、リオ、東京の連覇である。

PROFILE
  • Profile image.

    辻 沙絵(つじ さえ)

    陸上競技T47クラス/日本体育大学陸上競技部所属
    1994年10月28日、北海道生まれ。先天性前腕欠損。
    小学5年からハンドボールを始め、中学卒業後は強豪校、水海道高(茨城)に進学。
    2年時にはインターハイで8強入りを果たした。
    スポーツ推薦で日体大に進学し、ハンドボール部に入部。
    ケガの影響もあり、3年時に顧問の勧めでパラ陸上に転向。
    2015年10月の世界選手権では100mで6位入賞を果たした。
    100m、200m、400mの日本記録保持者。400mでは世界ランキング3位。
    リオデジャネイロパラリンピックでのメダル獲得に期待が寄せられている。
     

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