ATHLETES' CORE

表れ始めた躍進の兆し

遠山 勝元
ATHLETES' CORE

遠山 勝元陸上(車いすレース/トラック種目)

2021年、“国際デビュー”を果たしたのが、高校2年生の遠山勝元選手だ。12月にバーレーンで開催された「アジアユースパラ競技大会」にパラ陸上の日本代表として出場。200mでは自己ベスト29秒28で銅メダルを獲得した。100m、400mは4位入賞し、400mでは自己ベストを記録するなど、成長著しい次世代の選手として注目され始めている。「見ている人を魅了する走りをするアスリートになれたら」。そんな将来への希望に満ち溢れた高校生アスリートに迫る。

魅了されたレーサーにしかない迫力

魅了されたレーサーにしかない迫力
魅了されたレーサーにしかない迫力
魅了されたレーサーにしかない迫力

もともと体を動かすことが好きで、最も好きな教科も体育という遠山選手。小学生の時には車いすテニスをメインに、そのほか車椅子ソフトボールや、冬には毎年のように雪山に行ってチェアスキーをするなど、スポーツの経験は豊富だった。

どのスポーツをしても共通して一番楽しいと感じる瞬間があった。スピードに乗って疾走する時だ。風を切りながら前へ前へと向かっていく感じがたまらなく心地いいのだ。

そんな遠山選手が初めて「レーサー」と呼ばれる陸上競技用の車いすに乗って大会に出場したのは、小学5年生のとき。車いすテニス仲間に勧められ、車いすマラソン大会に出場すると5キロの障がい者ジュニア部門で優勝。賞品として自分用にカスタマイズされたレーサーが贈られることになった。その時に芽生えたのが、陸上競技への挑戦だった。

「せっかく良いレーサーをもらえたんだから、ちゃんと練習して、もっと速く走れるようになりたい」

それが、陸上競技人生のスタートだった。日常用の車いすとは違い、レーサーは前かがみで漕ぐため、地面との距離が近く、振動を体いっぱいに受け止めながら走る。だからこそ他では味わえない迫力があり、遠山選手の心は躍った。

翌年6年生の春、ようやく自分用につくってもらったレーサーが届いた。それから1年半ほどは車いすテニスと陸上競技との二足の草鞋をはく生活を送っていたが、走ることの方に楽しさを感じていた遠山選手は、中学2年生になると陸上競技一本に絞り、本格的に練習を始めた。

その年に出場した関東パラ陸上競技選手権大会(ジュニアオープン)では200mで優勝。さらに翌年には、100m、200mの二冠に輝いた。

刺激となっている同世代のライバルたちの出現

刺激となっている同世代のライバルたちの出現
刺激となっている同世代のライバルたちの出現
刺激となっている同世代のライバルたちの出現

遠山選手がシニアデビューを果たし、初めて国内トップ選手たちと同じレースを走ったのは、2020年の日本パラ陸上競技選手権大会。100mは1秒以上、200mは2秒近くと、自己ベストを大きく更新した。100mでは育成強化選手指定記録を突破し、ユース世代の“日本代表候補”にもなった。

そんな遠山選手が指導を受けているのは、寒河江核コーチだ。ふだんは特別支援学校の教員を務める寒河江コーチは、「障がいのある子どもたちに本格的にスポーツに取り組める場を提供したい」という思いから、現在は週に3回ほど、都内の陸上競技場で中高生の指導にあたっている。

寒河江コーチによれば、ここ1年で遠山選手に大きな変化があったという。そのきっかけは、2人の同世代の存在だ。岡山を拠点としている豊田響心選手と、沖縄を拠点としている仲泊厚志選手。同じ高校2年生の2人とは大会等で会えばよく話す仲のいい友人でもある。

2020年の日本選手権では、3人の実力は拮抗していた。ところが、いつの間にか2人が前を走るようになった。体格にも違いが生じるようになり、3人が並ぶと遠山選手の線の細さが目立つようになった。

しかし、そんな状況が遠山選手にある変化をもたらしたと寒河江コーチは語る。

「中学生の時までは勝つことが当たり前だったのが、高校生になってからは追う立場になりました。いつの間にか “楽しい”より“勝ちたい”という気持ちが強くなっていったのだと思います。以前は練習が辛くなると “これくらいでやめておこう”ということも。でも、今はどうしたら速くなれるか、強くなれるか、そこにフォーカスできるようになったのかなと。少しずつですが、アスリートらしくなってきたのではないでしょうか」

一方、遠山選手も同世代のライバルを意識していることを隠すつもりはない。

「特に響心は、アジアユースでは100m、400mと金メダルを獲得と同世代ではトップ選手。まずは彼に追いついて、追い抜くことが、今の目標です。それを達成して初めて、僕はアスリート”と言える気がします」

ケガから復帰後に掴み始めた手応え

ケガから復帰後に掴み始めた手応え
ケガから復帰後に掴み始めた手応え

2021年12月には、初めての国際大会となった「アジアユースパラ競技大会」に出場した。最初のレースとなった400mで自己ベストを記録した遠山選手は、100mでは自己ベストにわずかに届かなかったが、最後の200mでは自己ベストで銅メダルを獲得した。しかし、表彰台に上がれたことは嬉しかったが、メダリストの実感はわかなかったという。

「実は、(4位だった)400mと100mでは僕より速く走っていた3人のうちの1人が、200mにはエントリーしていなかったんです。もし彼がいたら、実力からすれば僕はまた4位だったと思います。そういう意味では、心から喜ぶことはできませんでした」

ただ、世界で戦った経験は、遠山選手のモチベーションを上げた。

「想像はしてはいましたが、実際にはほとんど海外の情報はなくて、同世代にはどんな選手がいるかはわかりませんでした。でも大会に出てみて、やっぱりアジアの中でも自分よりも速い選手がたくさんいるということ、彼らとの差は決して小さくはないということがわかりました。でもだからこそ、もっともっと練習して強くなりたいと思いました」

しかし、2022年は試練の年となった。6月にケガをしてしまい、夏以降の大会を相次いでキャンセル。約3カ月間、レーサーに乗ることができなかった。ようやく練習を再開したのは8月末のことだったが、11月には大分国際車いすマラソンのハーフの部に出場し、9位。集団の先頭で競技場に入ってきたなか、最後のトラック勝負でも逃げ切るかたちで勝ち、手応えをつかんだ。

そして変化の兆しを見せたのが、年末に沖縄で行われた育成指定選手を対象とした強化合宿だった。予想以上にしっかりと走ることができ、同学年のライバル2人に対しても決して負けてはいなかった。体格においても、もはやそれほどの差はなくりつつあった。

さらに練習パートナーとして参加していた200m日本記録保持者の生馬知季選手が一緒に走ったところ、遠山選手に対して「予想以上に自分たちの速さについてきていて、ちょっと驚きました」という感想を漏らしていたという。そんなことは初めてのことだった。

現在、目標としているのは今年スイスで開催されることが予定されているワールドユースへの出場だ。初めてとなる世界の舞台では、さらに成長した姿を見せるつもりだ。近い将来、パラリンピックという世界最高峰の舞台に挑戦するため、遠山選手は今、一段一段、階段を昇っている。

PROFILE
  • Profile image.

    遠山 勝元(とおやま かつもと)

    陸上競技T54クラス/関東パラ陸上競技協会所属
    2006年2月9日、千葉県生まれ。
    小学生の頃から車いすテニスや車いすソフトボール、チェアスキーなど多くのスポーツを経験。
    小学5年生で初めて出場した「全国車いすマラソン日産カップ追浜チャンピオンシップ」5キロの
    障がい者ジュニア部門で優勝したことをきっかけに、陸上競技に強く興味を持ち、
    中学生からは一本に絞って本格的にトレーニングを始めた。
    2021年12月、高校1年時に「アジアユースパラ競技大会」に日本代表として出場し、
    200mでは銅メダルを獲得。
    100m、400mでは4位入賞した。将来有望な次世代アスリートとして期待されている。

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